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Hoi Zäme, ハイジです。

素人で何も知らない私が思ったことを書くのはどうかなぁと思ったトピックだったので、都度都度思うことがあるとちょっと記事を書いては途中で終わり、投稿せずの日々。
沖縄に縁もゆかりも興味も全くなかった東京出身の私ハイジが沖縄に約半年滞在し、色々思うことが沢山あったので、記しておきたいと思います。

最初の石垣島生活3ヶ月での不思議

それまで過去に一度、二泊三日でリゾートホテルに滞在したのとは違い、ながーく滞在することで感じる何だか日本っぽくない文化。
しまくとぅばと呼ばれる全く意味がわからない言語。
本州ではあまり見かけない鮮やかな色の伝統衣装やミルク様と呼ばれる東南アジアで見かけたことのあるような顔の神様。
建築物を見ても何だか台湾や中国で見たような雰囲気。
そりゃそうだ。東京より台湾の方がずっと近いし、元々はまったく別の国だったのだから。

沖縄について何を知ってた?

高校の修学旅行先が沖縄ではなかったハイジは、深く学ぶ機会がなく、個人的に昭和史や戦跡には興味があったので、様々な本を読んだりしたこともありますが、理解は不十分で下記程度。
・元々は別の国だった
・別の文化、言語だった
・日本で唯一地上戦のあった場所
・昔から在日米軍とのトラブルが多い場所
・内地に来るのにパスポートが必要だった時代があったらしい

琉球王国から沖縄県になるまで

かつての沖縄県には北山、中山、南山という3つのエリアがあり、1429年尚巴志(しょうはし)が統一することで、琉球王国を建国。
1879年まで約450年続いた。
琉球王国は、日本がオランダと中国としか貿易していなかった鎖国時代に日本、中国、朝鮮や東南アジア等と貿易し、栄えており、現在の沖縄県内だけでなく、鹿児島県奄美大島まで琉球王国だった。
1609年、江戸時代薩摩藩は琉球王国に侵攻し、以後、奄美は薩摩藩の領土となる。
琉球王国自体は残ったが、1872年明治政府は、琉球国王尚泰を琉球藩王にし、琉球藩とした。
1879年、明治政府は琉球藩の廃止し、沖縄県とした。これを琉球処分と呼ぶ。
これに伴い、国王は首里城を明け渡さなければならず、日本軍の駐屯地、学校等に使われた。
1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼。
戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなったが、18世紀以降をモデルとして、復元。
2000年世界遺産に登録されるも2019年火災で消失。

なんだか色々巻き込まれる沖縄

立地と言われれば元も子もないのですが、素人の私からすると、何でこんなに色々巻き込まれなきゃならないの?と文句しか思い浮かばないくらい何かと色々巻き込まれる沖縄。
江戸時代には、当時現在の中国からイギリスやアメリカに労働力として人が船で運ばれていた時代があったらしく、その待遇に不満を抱いた中国人が石垣島に逃げて来た。
それを助けてあげたりしてたら、イギリス軍とアメリカ軍がいきなり軍艦でやって来た。
ある日突然、自分達の国だったのに、いきなり一部を琉球藩にさせられた。
本島では戦時中は地上戦に巻き込まれ、首里城は日本軍に使われ、日本軍のために駆り出された少女達は、最終的に激戦の中、外に放り出され、多くが亡くなった。
私達が1番長く滞在した石垣島は、地上戦にはならなかったそうだが、日本軍に山へ隠れるよう命令され、隠れた結果、山中でマラリアに感染し、3,600人余りの人が亡くなったそうだ。
戦争で沖縄県民の4人に1人が亡くなったと考えられているそうで、あまりの人数に絶句。
その上、戦後仕事の少なかった沖縄から、仕事を求めて東京に向かった人が、沖縄県出身を理由にいじめられ、辛くて沖縄に戻ってきたと話してくれた人にも会った。
沖縄滞在が、ちょうど沖縄本土復帰50周年だったこともあり、様々な本を読み、博物館、資料館にも行った。
私がちょっとこちらに記しただけでなく、もっと沢山理不尽なことがずーっと山ほどあって、何だか全然知らなかった自分が恥ずかしくなったし、大変ショックも受けた。

沖縄観光と若者

本島で初めてアメリカンヴィレッジに行った時、米軍基地からの戦闘機の飛行訓練の爆音とその飛行頻度に驚いた。
何かみんな普通に観光しているけれど、隣の夫と会話するのに叫ばないとお互い何も聞こえないような爆音ってこのままでいいのかな?と考えた。
雰囲気はグアムに行ったようで確かに楽しかったけれど、北谷の近辺には住めないのでは?と感じるくらいの爆音。
私と夫は興味があって、沖縄の戦跡を巡ったりもしたけれど、修学旅行生にも温度差があるようで、じっくり見学している子、流し見でほとんど何にも読んでない子もいて、年頃だし、わからなくもないけれど、何だか悲しくなってしまった。

知ることの重要性

何だか本当にありきたりなことしか言えないけれど、本当に何でも知る努力っていうのは大事で、当事者の気持ちになって心を寄せることが大切だと思いました。
昨今の世界情勢を考えても、賢くない私には何が正解なのかはわかりませんが、他人事で何も知らなかった1年半前の私とは違う視点がある訳で、こういう気持ちは忘れないでいたいと思いました。
沖縄にご旅行の際は、戦跡に行ったことのない方は是非。
また、昔に行ったことがあったけど、どんな感じだったかな?という方も是非。
全員が同じ気持ちになることはないと思いますが、それぞれ自分なりに考える時間ができることが、より良い社会への一歩だと思うので。
日本がこれからも戦争のない国でいられるよう願いを込めて。

石垣市公式ホームページより(2022年)

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