見出し画像

立ち直る理由


―転ぶと恥をかく。

自分がどうしようもなく情けなく感じるけれど、良い事もある。

同じ様に転んだ人に、本心から寄り添える様になる。



僕たちは何度でも立ち直ってきた。

沢山の恥ずかしさや悔しさ、悲しさを乗り越えてきた。

その、「立ち直る理由」は人によって様々だけれど、ひとつ確かなことは、「転んだ」から「立ち直る」こと。「勢いを取り戻す」という意味合いでも使われるかもしれない。

仕事なり、失恋なり、人間関係なり、残酷な気付きなり、何らかの挫折をした時、

「立ち直らねば」と思う。

そしてまず、転んだなら立ち直れと自分に言い聞かせてみるけれども、そういう身体的な話とは違って、はっきり「挫折してしまった」と感じた時、大抵簡単には起き上がることが出来ない。「次はこんなケガでは済まないかもしれない」と心が不安心を煽ってくるから、ただ立ち直れば良しにならない。誰かにまた転ばされないよう、近付くものを異様に警戒する様になるかもしれない。

ただ、いつまでも引きずっていて良いものでもない。時間が忘れさせてくれるやもしれないが、出来ることなら感情冷めやらぬ内に、自分の意思で立ち直ってみたい。個人的には、自分の大事な部分を形成する経験とは、こういった「筆舌に尽くし難い挫折」から立ち直った時に得られると信じている。

なら、一体どういうアプローチがあるのか。

部屋でひとしきり泣いたり、それから散歩したり、小旅行に出たり、好きな音楽を聞いたりテレビを見たり友人と話したりして、少し心を落ち着けたら、やってみた方が良い事って何だろうか。


・人に相談する

・書き出して状況を分析する

・見た目、声質や表情で印象を変える

・アプローチを変える

・性格を見直す

・マインドセットを変える

・悩みは些細なことだったと考え、なりたい自分を目指す

・読書や人脈を作って視野を広げる

・思考のスケールを大きくし、気にしないようになる

・先人の伝記や哲学に学ぶ


これらの方法は抽象的で、とても参考にはならないと思われるかもしれない。

ただ、本当に落ち込んだり激情に駆られた時、こういった方法は眼中に無い場合がとても多い。

犯人をでっち上げて復讐するとか嫌がらせをするとか風評を流すとか、ありったけ愚痴を言うとか、物に当たりまくるとか、いっそ自分が死んでやろうとか、そういう事になるともう「立ち直る」はポジティブな物とは程遠くなってしまう。

どうしてポジティブに生きるべきなのか?その理由はハッキリしている。そうせよと己を奮い立たせる事が、往々にして成長に繋がるからだ。

そうして生まれた打開策が、同じような境遇の人の助けになる時が来るかもしれない。

自分は不幸だ、恵まれていない、と嘆き、塞ぎ込んでしまうのは勿体無い。


Q,直面して立ち直れず、逃げてしまった過去は?

是非コメントをお寄せください

(つれづれ171017)

読んでくれてうれしいです。