はじめに
先日、Twitter上で山口周(@shu_yamaguchi)さんが「怒り」について次のようにTweetしていた。
このTweetに対し、ネオ高等遊民@哲学youtuber(@MNeeton)さんは次のように引用リツイートしていた。
このネオ高等遊民さんの引用リツイートに対し、筆者が引用リツイートを行なった。その際、筆者のリツイートに対してQmQ(@gejiqmq)さんより幾つかのコメントを頂戴した。以下では筆者とQmQさんとの間で行われたやりとりの記録である。
筆者とQmQさんとのやりとり
以上が筆者とQmQさんとのやりとりである。 先日、小田さんとやりとりした際にも感じたことだが、自分一人でモノローグで書いていくよりも、他者との対話を通じてダイアローグとして書いていくと、思索も文章も驚くほど速く進んでいくことに気づいた。これはつまり、相手がいることを想定して書く場合と、そうではなく他者を想定しないで自己内対話のみで書いていく場合とでは、思考の系列が異なるのではないかという気づきを得た。
今回のQmQさんとのやりとりでは、QmQさんが「遺伝子」という視点を持ち出されたのに対して、筆者は一度も「遺伝子」という語を用いることなくリプライを行なった。その理由は、筆者が「遺伝子」に言及できるほどの基礎知識を備えている自信がなかったからである。ここで「遺伝子」に言及できるほどの基礎知識とは何かというと、「遺伝子」がどういうものか全く知らないという意味ではなく、学術的にみて「遺伝子」について論じる際の適切な論じ方を知らない、という意味である。
かつて筆者は「怒り」についてどのように考えていたのか
もうすっかり忘れていたが、筆者は5年以上前にこのブログにおいて「怒り」について言及していた。以下の文章は2017年11月14日の筆者の記事からの引用である。
これは筆者が28歳の時に書いた文章である(ちなみに筆者は現在33歳である)。ブログに自らの思考を書き残しておくことは、後になって未来の自分が過去の自分の思考を反省することができるし、もし陳腐な言説を聞いた際には『そんなことは自分はとっくの昔には考えていたよ』と言えるので便利である。