【脚本】ダンスプロジェクト「宓」作品解説
映像作品のダンスプロジェクトとして誕生した「宓」。
「ひつ」と読みます。
東京で活躍するダンサーの森 紫、通称オスカルちゃんから一緒にダンスの映像作品を作りたいというお誘いを受けて、脚本を書かせていただきました。
使用する曲は女王蜂の「火炎」。
入れたい要素は”殺陣を取り入れた時代もの”、”忍”、”くの一”、”敵対する二人の恋”、”遊女”、”巫女”。
出演者も決まっていて、それぞれに明確なキャラクター設定が既にありました。
敵対する忍達の恋、というのは簡単に描ける設定かなと思ったのですが、くの一が遊女でもあって巫女でもあるというリクエストが結構私的に難しくて色々と調べまくりまして。
私、結構歴史好きなので完全なるファンタジーの世界よりは史実を取り入れたしっかりした作品を書きたいなという思いがあったので、全ての要素が歴史的に入る時代設定にしたかったんです。それがまあ難しくて難しくて。
色々調べて行き着いたのが、戦国時代、天正伊賀の乱(伊賀衆と織田氏の戦い)、歩き巫女。
この歩き巫女というのが遊女も兼ね備えていたり、くの一として武田信玄の下で活躍したという歴史があり、これだ!と。
歴史好きな方からすると、いやいや・・・となる箇所は多々あるのですが、そこらへんはちょっとフィクション要素を追加しまして強引にまとめました(笑)
まあ、あくまでもダンス作品の脚本ですので、大まかな背景やキャラクターの心情、ストーリー設定があれば大丈夫ではあるんですよね。
それより細かい部分は振付や演出に視覚的に細かく反映させるのは難しいし、
曲と振付と世界観がしっかりマッチしたダンス作品を作ることがメインで、脚本はその土台というか、演者がそれを落とし込んで共有することでより一層深みが出る役割を果たせるものなんですね。
極端に言うと”殺陣、ダンス、遊女、巫女、恋愛”の要素が視覚的に入っていれば全然いいわけなんです。
セリフもなけりゃ、たった数分の中で細かい人物紹介もないし、ストーリーをイチからしっかり見せるなんて無理です。
なのでここまで詳しく調べたりストーリーに歴史を落とし込む必要はないんですが、もうこれは私の勝手な趣味とこだわりを気の済むままに入れただけ(笑)
なんですがね、やっぱりこの手の作品は見る側が”いかに妄想で補完して楽しんでもらえるか”ということがめちゃくちゃ大切なんですよね。
キーワードややりたい設定を大まかに練り込んだダンス作品はこの世に沢山あれど、妄想力を掻き立てられるような引き込まれる作品ってそこまで多くないように思えるのです。
何故ならダンサーの思考として、あくまでもダンスやそれを引き立たせる構成や衣装といった視覚的要素がメインなんですよね。
だってダンス作品だもの。
視覚情報をいかに駆使して見る側を楽しませるかがダンスナンバーなんです。
だけど、こういう世界観やそれに伴った衣装のこだわりや演出が入った作品を見ても、なんだかチープな印象を持つものもあるんですよね。
例えば遊女がやりたかったんだねということしか見えてこない、遊女の衣装を着て遊女のようなイメージの踊りや世界観をしたかっただけ、というような、割と浅くなりがちなものって結構あるんです。
もちろん、”遊女”、”煌びやかでセクシーな衣装”、”視覚的な世界観”、ということだけに絞ってダンススキルと構成でしっかり魅せることも可能です。
その場合そういう設定を上手く利用しながら余計なことは考えさせないダンススキルと構成を駆使した作品力が必要なわけなんです。
単純に「凄い!」「かっこいい!」と思わせることができれば、それこそダンスを楽しむシンプルかつ大切な醍醐味でもありますね。
ただ、この「凄い!」「かっこいい!」は簡単なことではないし、それを追い求めてダンサーは死ぬほど練習するわけです。
だんだん話が逸れてきましたが、要は何がチープな印象にさせるかというと、作品自体に深みがあるかないかです。
ストーリーや明確な設定がある作品は世界観、人物設定、関係性、それらをセリフなしで見せなければいけないからこそ、深く掘り下げて明確な土台を演者達が共有することが、結果として視覚情報に入ってくるわけです。
初見で見たとしても「説得力」のある作品になるわけですね。
それが深みであり、その深みこそ見る側が妄想をさせてくれる大切な材料です。
難しく書いちゃいましたが、内容があるかないかって話です。
なので私が書くダンス作品の脚本は設定が細かいです。
気の済むままに勝手に作った設定ですが、演者がこの設定を大切にしてくれなければ結果として浅いチープな作品になるでしょう。
宓の脚本はあらすじと登場人物の名前や関係性の解説が最初にあったきり
、その後は名前も、伊賀と織田の戦いだということや誰と誰が敵味方かなんて具体的な情報も出てきません。
セリフのない短編小説のような書き方になています。
書いてあるのは登場人物の心情、結末に向かって繰り広げられる人間模様、曲にリンクした言葉や情景。
これを脚本と言っていいものかとも思いますが、私にとってのダンス作品の脚本はこの方法一択です。
ダンス作品の脚本はまず作り手の妄想を掻き立てる役割がめちゃくちゃ大事だからです。
私の脚本を元に、ダンサー達が妄想を膨らませてイチから踊りや演出を生み出していくわけです。
自分の産んだ赤子がその後みんなの妄想を具現化して勝手にすくすく育っていくわけですね。
人間の妄想力は十人十色なので、そう解釈したんだ!?みたいな驚きも沢山あって面白いです。
私の長所は生み出すものへの拘り、それから生み出した後は拘りゼロ(笑)。
それはさすがに設定を逸脱するよみたいなものは口を挟んだり、悩んでたらシーンの意図や背景は助言はしますが、基本お好きにどうぞです。
ダンスの振付をする時も、「後はどうぞご自由にー、難しかったら変えちゃってくださいー。」て感じです。
赤子よ、人の手に渡って勝手にどんどん成長していけって感じ(笑)。
なので「宓」は読む人によっての妄想の振り幅がすんごい広い作品です。
マジで抽象的な表現でしか書いていないので。
当初は「火炎」の1曲のみに合わせての脚本だったので、私なりにこのフレーズの時はこのシーン、みたいなのが全部細かく決まっています。
が、なんと脚本を読んだオスカルちゃんがえらく感激してくれて、こんな超大作を1曲だけでおさめるなんて勿体無い!と言ってくれまして。
一応シーンごとで各キャラの人間像やどう生きてきたかとかは書いてるんですけど、新たにそれを掘り下げて各キャラやカップリングごとに作品にしたいからそれも脚本書いてというびっくりなリクエストが来ました(笑)。
ということでプラスで書いた脚本もありますが、まずは「宓」本作をあらすじと各章(各シーン)ごとに載せていきたいと思います。
妄想を膨らませて楽しんでいただければ幸いです。
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