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確信する脳 ロバート・A・バートン (著), 岩坂 彰 (訳)
「知っている」という状態を私たちは確信しているが、その感覚はどこからやってくるのだろう?という疑問から本書はスタートしている。
たとえば強盗に遭ったとき相手を撃てるかどうか。
「ためらうかもしれないってことは? 全然ない?」
「ひとかけらもないね。自分のことはよく分かっているよ。自分がどうするかは、自分で知っている。話はここまでだ」
著者は懐疑的だけども、この会話の相手は「自分は必ずやる」と確信している。何かを「知っている」「正しい」「本物である」と認識しているときの脳の働きは、どのような仕組みなのか?
第4章 心の状態の分類
ノーベル賞を受賞した数学者のジョン・ナッシュは、精神疾患が最も悪化した時期に、外宇宙からやって来た宇宙人が自分と交信しようとしていると信じていた。MITから正教授の職を提示されたときも、「南極の皇帝になる予定」だという理由で、この申し出を断った。
ジョン・ナッシュの伝記映画「ビューティフル・マインド」
脳の働きが極端になってしまった状態が精神疾患なのではないかという仮説(病的な確信=統合失調症、病的な疑念=強迫性障害)
周りの人/モノが偽物と入れ替わっているように感じる病気や、自分が死体のように感じられる病気もあるらしい。「既知感」信が消えた状態。
第9章 思考の快感
物理学者が求めている美しさについて。
ウィーンでの学生時代、シュレーティンガーは数学と詩と自然にのめり込んだ。シュレーディンガーの時代の科学者の特徴として、自分が美的な衝動に突き動かされていると認めることを恐れないということが挙げられる。
彼らはみな、確実で自己証明的な何らかの美の観念を、それがどれほど移ろいやすいものであろうと、垣間見ようと追い求めていた。その観念はあらゆる方程式を超越した方程式であり、完璧な美しさの感覚、宇宙があるべきところにぴったりと収まる感じである。
著者は、自分がポーカー中毒であり、あまり上手ではないにもかかわらず止められない理由は、運の良さを感じていたいからであると。誰もがランダムな条件で「選ばれる」ことが大好きだ。
脳の報酬系とドーパミン、薬物依存の治療の研究↓
こうした研究結果は、情緒的な習慣・様式や行動に対する報酬への期待を完全に消去するのは困難であることを、見事なまでに示している。思考と<正確感>とを結ぶニュートラル・ネットワークがいったん確立されると、それは簡単に崩れない。(中略)
私はよく思うのだが、自分が正しいと主張し続けることは、生理学的に見て依存症と似たところがあるのではないだろうか。
第10章 遺伝子と思考
ある読書クラブのメンバーたちは、教授やソフト開発者、ベンチャー資本家などで、彼らは小説や詩はほとんど読まない。「その類の本は活発な意見の交換には向かない」と言い、政治、歴史、科学の本が好まれるらしい。
意見が割れれば割れるほど会話は活気を帯びるが、最後は「どうして君は一度だって理性的になれないのだ」「客観的になりさえすれば分かるのに」といったやりとりで終わる。
彼らも、詩人はエンジニアとは違う世界観を生まれつき持ち合わせているということをあっさりと認める。
それでもなお、どんな人でも同じ情報を与えられれば同じ結論に至るべきであるという信念は曲げようとしない。まるで理性というものが、視覚と同じように必然的な物理法則に従って働くかのように考えているのだ。
章の後半ではポーカーの世界大会の話から、リスクテイクを好む性格と遺伝子はどのくらい関係しているのか等
第13章 信仰
科学と理性は個人的な<意味感>を与えてくれない、ということについて。
トルストイが50歳を超えてから襲われた発作的な憂鬱について書き残した短い文章を紹介しよう。
当時の彼は、家族、財産、周囲からの尊敬、健康な身体など、幸せの条件と思われる全てを所持していました。
私は、自分を常に支えてきた何かが自分の内部で崩れ去ったのを感じた。拠るべきものが何も残されていないことを、自分の人生が精神的に止まってしまったことを感じた。(中略)
科学の中に答えを探し求めた先人たちもやはり何も見つけなかったことを確信した。しかも彼らは、答えを見つけなかったばかりでなく、このことを認識してしまったのだ。——— 人類が到達できる唯一の明白な知識とは、人生は無意味で不合理であるという、私を絶望に突き落としたまさにそのことにほかならないということを。
「科学は宗教を説得できない」テーマについても綴られています。
ドーキンスは、合理主義者のジレンマを分かりやすく示している。世界が無意味だと知性で結論づけている人間が、個人的な<目的感>をどのように示すことができるのか。無意味さを指摘する目的とは何か。(中略)
彼の経歴と発言をウェブで検索してみるといい。信仰を持つ者に、その信念の愚かさを納得させようとするドーキンスの情熱的な努力は、異教徒を改心させることを義務と心得る宣教師の熱意と同質のものだ。
宝くじが外れた場合は気にならないのに、当たったときには「選ばれた」と思うような感覚。もし地上からすべての宗教、宗教書などを処分したところで、このような人間の感覚は消えないだろうと著者は結論づけています。
amazonの表示が高額ですが、中古500円くらいです↑
追記
あと、ドストエフスキーはてんかんの症状があったんだけど、発作中はめちゃくちゃ幸福感に包まれてたって話も面白かった(彼の日記が引用されてる)42ページあたり
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