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『必要な犠牲〈三〉』(ショートシナリオ)

7 若菜の自宅(3日目・昼)
 目が覚めて、枕元にある携帯を見る若菜。時間は昼の12時を過ぎている。敏夫の声が聞こえないので、どこかに行っているようだ。

若菜:
「お父さん、いないみたいだけど、お酒でも買いに行ってるのかな」

 敏夫がいないので、昼ご飯の支度をする必要がない若菜。そのままベッドで横になっている。

若菜:
「そうだ。今日は学校休みだし、バイトまで時間あるから、恵美に連絡して、遊びにでも誘ってみるか」

 恵美に連絡しようとした手を止める若菜。2日前、恵美が話していた「ヤングケアラー」のことを思い出し、興味本位で検索する。画面の上部に出てきたのは、主に言葉の説明だった。

若菜:
「なんだ、だいたい恵美が言ってたとおりじゃん。私は『ヤングケアラー』なんだ」

 画面を下へスクロールしていくと、「クローバー更生施設」という名前が、目に留まる若菜。

若菜:
「クローバー更生施設? カワイイ名前の施設じゃん」

 そこのホームページを見ている若菜。「家族が依存症でお困りの方へ」という項目をクリックする。

若菜:
「なになに、『家族の中に、アルコール等の依存症を患っている人がいる方は、1人で悩まずに、是非ご相談を』だって。恵美には、大人なんて信用してないって強がったけど、正直、もう限界だし。ちょっと電話してみよう」

 ベッドから起き上がり、ホームページに載っている番号に、電話をかける若菜。

上田:
「もしもし」

若菜:
「あの、私、ホームページを見て電話したんですけど」

上田:
「家族に依存症の方がいらっしゃるということですか?」

若菜:
「はい、そうです。あの」

上田:
「少々、お待ち下さい」

 数秒の間があってから、再び上田が話し始める。

上田:
「失礼しました。私は、クローバー更生施設の所長の、上田と申します。まず、あなたの名前と住所、それから電話番号を教えてもらってもよろしいですか?」

 言われるがまま、名前・住所・電話番号を教える若菜。

上田:
「ありがとうございます。ご家族に依存症の方がいるということですが、どういった依存症ですか?」

若菜:
「アルコール依存症です。父親なんですけど」

上田:
「わかりました。ちなみに、家族構成をお聞きしたいのですが、お父様と娘さんの他に、どなたかいらっしゃいますか?」

若菜:
「父と私だけです。父と母は、1年ほど前に離婚しています」

上田:
「左様でございますか。この度は、どういったご相談内容でしょうか?」

若菜:
「父は、毎日お酒ばかり飲んでいて、全然働いてくれないんです。母からの養育費も、お酒に使ってしまう始末です。それで私が、高校に通いながら、夜のバイトをして、生活を支えている状況です」

上田:
「はい」

若菜:
「私は、普通の生活を送りたいんです。部活をしたり、友達と遊んだり、彼氏とデートしたりしたいんです。高校を卒業して、大学にも行きたい。それなのに、このままだと父のせいで、私の人生が犠牲になってしまいます。もう、限界なんです」

 少し沈黙があってから、先ほどよりもトーンを落として話し始める上田。

上田:
「本当に、心中お察しします。私達は、そういう依存症患者により犠牲になっている、他のご家族の方を救いたいという理念で、当施設を設立しました。全力を尽くして、あなたのお力になりたいと思っています。そこで、私の方から提案があります」

若菜:
「提案? どういう提案ですか?」

上田:
「それを聞く前に、約束してほしいことがあります」

若菜:
「なんですか?」

上田:
「私が提案する内容は、絶対に誰にも言ってはいけません。もちろん、お父様にもです。これを破ってしまうと、あなたが『犠牲』になることになります」

若菜:
「・・・」

上田:
「そして、もう1つ。私の提案を聞いてしまうと、あなたはそれを拒否することができません。つまり、同意することを前提に、私の提案を聞くということです」

若菜:
「そんな。同意することが前提って、まだ内容も何も聞かされてないのに、おかしいじゃないですか。それって、犯罪じゃないんですか?」

上田:
「嫌なら嫌で、結構です。あなたが今の生活を続けたいのなら、私は何も言えません。決めるのは、あなたです。ただ、私の提案に同意していただくと、あなたが求める『普通の生活』が、必ず手に入ります」

 数秒の沈黙の後、口を開く若菜。

若菜:
「ちょっと考えてもいいですか? また電話します」

 そう言って、電話を切った若菜。部屋を出て、敏夫がいないことを確認する。トイレを済ませ、顔を洗い、自分の部屋へと戻った。そして、再び上田に電話をかける。

上田:
「もしもし」

若菜:
「つい先ほど電話した者ですけど」

上田:
「どうするか、決まりましたか?」

若菜:
「先生の提案を、聞かせて下さい」

上田:
「本当に、いいんですか? 今ならまだ間に合いますが、これ以上進んでしまうと、もう後には戻れませんよ?」

若菜:
「私は、父のために、自分の人生を台無しにしたくありません。今の生活から抜け出せるのなら、何でもします。だから、提案を聞かせて下さい」

上田:
「わかりました。では、私の提案というのは、お父様を、当施設に預けてほしいんです」

若菜:
「え? それだけですか?」

上田:
「それだけです」

 安堵した若菜をよそに、話し続ける上田。

上田:
「ですが、お父様と、再び会えるという保証はありません。それは、覚悟しておいて下さい。その代わり」

若菜:
「ちょっと待って下さい。つまりそれは」

上田:
「お父様は、死んでしまうかもしれないということです」

若菜:
「そんな。その施設で、一体なにをするんですか?」

上田:
「詳しいことは言えませんが、ある薬の開発のために、人手がほしいんです。依存症の患者が」

若菜:
「つまり、人体実験をしてるってことですか?」

上田:
「これ以上のことは、あなたに関係のないことです。先ほども言いましたけど、あなたにはもう、私の提案を拒否する選択肢はありませんので、話しを続けさせていただきます。お父様を預けてもらう代わりに、あなたが社会人になるまでの生活は、私どもが保証いたします」

若菜:
「生活を保証するって、どういうことですか?」

上田:
「はい。月に30万円と、学費などは別途、支給いたします。あなたは高校生で、大学にも行きたいとおっしゃっていましたので、その間の諸々の費用は、こちらが全て負担します」

若菜:
「それって、私の人生を取り戻す代わりに、父の人生を犠牲にするってことですか? お金と引き換えに父を預けるって、やってることは『人身売買』と同じじゃないですか」

上田:
「そういう考え方も、あるかもしれません。ですが、お父様は、あなたの人生を邪魔している『悪』なんです。私たちは、その『悪』を取り除いているだけなんです」

若菜:
「そんなの、詭弁じゃないですか」

上田:
「なんとでも言って下さい。いいですか。約束は守っていただきます。早速ですが、明日の正午、お迎えにあがります。では、失礼いたします」

 一方的に電話を切った上田。呆然とする若菜。電話の内容が飲み込めず、再びベッドに横になった。

若菜:
「まあ、そんなに深く考えなくても、大丈夫だよね。さっきの先生、お父さんは『死ぬかもしれない』って言ってたけど、『死ぬ』とは言ってなかったし。ちゃんと治って、元気に帰ってくるかもしれないし。それより、毎月30万も貰えて、学費も出してくれるなんて、最高じゃん。明日、お父さんを説得しよう」

 独り合点した若菜は、アルバイトの時間になるまで、眠りについた。


※〈四〉へ続く

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