予備校小論文クラスの思い出

高校生の時、志望校の入試科目の問題で予備校の小論文のクラスに通っていた。
毎週どこかの大学の過去問とかのテーマに沿って、決められた時間内にガリガリと書いて提出する。優秀作は講評でプリントされて配られる。

率直に言えば、私は小論文を書くのがまあ、得意な生徒だった。
ほぼ毎週、優秀作として配られたのは私の文だった。
先生曰く、「小論文に大切なのは論理構成能力と日本語文法力、そしてリテラシー。これは今までの読書経験や書いた経験の積み重ね。君はリテラシーが非常に高い」
確かに、決められた時間内でペースを配分しながら起承転結を考え求められる文字数に応じて作文することはそんなに難しくなかった。
割れた志望校のロゴ入りシャープペンシルを握りながら、ただ無心に問題文を読み、仏師が木から仏像を掘り出すように題意に沿った構成を汲み、文として出力した。
実際にテンプレではなかったけれど、頭の中には型がみえていて、それに沿って作業をする感覚だった。

でも、私は自分の小論文があまり好きではなかった。面白くない文章だと思っていた。
文章としての体裁は整っているし論理展開も妥当だが、主張自体は空虚で、ありきたりで、70点は狙えても100点を目指す志すら感じられない死んだ文章。
あくまでも受験科目だから名文や問題解決への素晴らしい提言を提出する必要はないかもしれないけれど、こんなつまらない文章は受験者全員が書けるのではないかと恐れていた。

そこで私は講師に「私の書くものはつまらない気がする」と相談した。
特に解決策は提示されなかった。
「よく書けているし主張自体は問題ない」「そのリテラシーの強さはそうそう真似できない」といった回答をもらって、問題は解決されなかったものの多少の自己肯定感で誤魔化されて帰宅し、次のクラスではまた同じように悩んだ。

結局この話に大したオチはなくて、私はその後も機械的に小論文を書き、本番では震える手にいつもより少しの情熱を乗せて、でも載せすぎて型を逸脱するほどの勇気はなく制限時間内にまあまあ無難な回答をまとめて無事志望校に合格した。

その後の大学と社会人生活で与えられたリテラシーも文章力も全てどこかにお返しし、今ではTwitterの140文字すら満足に打てずにあーあーうーうーと唸るか、オタク特有の引用で喋る習性を披露したりしている。

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