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【挿話】疲れているときは注意してごみ捨てをすること

 水曜日の私は、それはもう疲れていた。
 職場に体調を崩した人が出て、その人のカバーをしながら働くこと1か月半…心も身体もすり減っていたが、その人が悪いわけではないからと自分を鼓舞し、休みの日にしっかりリフレッシュをして自分自身を騙しながらなんとか働いてきた。しかし、今週はそれが上手くいかなかったのだ。
 まず1つ目に、前の週の土曜日に仕事がありお休みが1日しかなかった。世の中には週休1日で働いている方がたくさんいることは知っているが、1日では体力も気持ちも回復させられなかった。
 2つ目に、土曜日に一緒に働いた人たちのほとんどが月曜日に休日を振替えていた。私を含め5人は、仕事の都合上それができなかった。仕方のないことなのだが、「悲劇のヒロイン」気分に浸りでもしないとやっていられなかった -- つまり、月曜日に休んでいたみんながうらやましかったのだ。
 3つ目に、火曜日も水曜日も日帰りの出張が入っていた。月曜日に出勤した私以外の4人は火曜日の出張者に含まれていなかったため、涼しい部屋で仕事をしていたのがまた悔しかった。出張から帰ってきた私に「かわいそうに。大変だったね。」と優しく声を掛けてくれた4人に「ありがとう。」と返さず、「私、大変すぎますよね!」と八つ当たりをしてしまうくらいに心がすり減っていた。

 心も身体も疲れてくると、日々のルーティンとなっている動作は無意識のうちに行いがちになる。例えば洗濯、例えばお皿洗い、例えばごみ捨て-- 。

 水曜日に出張から家へ帰ったとき、荷物を部屋におろしながらキッチンに置かれたハチミツの瓶が視界に入るのを自覚した。そういえば、朝使い切ったからゴミに出そうと思っていたのだ。バタバタしていて忘れていた。

 本来は瓶やペットボトル、缶は透明な袋に入れてゴミ置き場に出さなければならない。しかし、それではバラバラに捨てられて大変だから、という管理人さん(常駐ではなく、朝の2~3時間ほど滞在してマンションの清掃やごみ捨て等をしてくれている)のアイディアで、ごみ置き場に大きな袋が置かれることになった。それぞれ「瓶」「缶」「ペットボトル」と分かるようにイラスト入りの表示がされており、管理人さんの工夫に感謝しながらごみを出している。

 どうせ明日の朝も捨て忘れるだろうし、向かいのドラッグストアで買い物もしたいし、と瓶・鍵・携帯電話を持って家を出たのが間違いだった。
 私の住むマンションはオートロックであり、ゴミ捨て場もまた同じである。
 ゴミ捨て場の鍵を開けた後、左手に鍵を持ったまま瓶のふたを開け -- 私は左手でふたを開け、そのまま瓶を右手に、ふたを左手に持っていた -- それぞれを袋に捨ててゴミ捨て場を出たのである。もちろんドアを閉めたため自動で鍵がかかった。

 2,3歩歩きだしてからおかしいことに気付く。なぜ私は捨てたはずの瓶のふたを持っているのだろうか。左手には何を持っていたのだったか -- 。

 そこで自分の失態に気付いた。なんと、私はふたと間違えて鍵を捨ててしまったのである。無意識の動作が招いた事態に、私はひどくうろたえた。
 「マンションの鍵 なくした」と検索をすると「警察に届ける→鍵開け業者を呼ぶ」という流れが出てきた。しかし私は被害に遭ったのでも紛失した場所が分からないのでもない。目の前のゴミ捨て場にあるのだ。

 このままではゴミ捨て場を開けられないどころか、家に入ることすらできない。一人暮らしの私の家のスペア鍵は、全て私の部屋の中にある。

 しばらくマンションの前に立ちつくしていた。
 しかし、マンションに入っていく女性が不審な目でこちらを見ていることに気付くと(開きもしないオートロックのゴミ捨て場の扉をガチャッとさせたり、外から中を覗いたりしていたら不審者だと思うだろう)、「通報されては大変だ」という思いでいっぱいになり、慌てて向かいのドラッグストアへ入った。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう…。
 こういうときに一人暮らしは困る。誰にも助けを求められないし、私は一度パニックになるとなかなか落ち着くことができない。もしかしたら必要になるかも!とドラッグストアに併設された100円ショップでヘアピンを買うほどに動揺していた。
 とにかく気持ちを落ち着け、状況を整理する必要があることを自覚すると、家の近くを散歩しながら今後のことを考えられるようになってきた。
 ①明日の朝7:00までどこかで時間をつぶし、出勤した管理人さんに事情を説明して開けてもらう ②鍵開け業者を呼んで開けてもらう
 私はとにかく疲れていた。一刻も早く自分の部屋で休みたかった。だから②を選択することにした。

 そこまで整理してから(30分以上歩いていた)マンションの前まで向かうと、丁度マンションにおじいさんが入っていくところだった。小規模マンションではあるが、先ほど不審な視線を向けてきた女性同様に面識のない方だった。
 さっきはパニックでドラッグストアへ逃げてしまったが、散歩をして気持ちが落ち着いていたからか、今度は冷静に対処できた。

 「すみません。〇〇号室に住んでいる〇〇と申します。実はゴミ捨て場に鍵を置き忘れて出てしまって、家に入れず困っているのです…。」

 そのおじいさんはとても良い方だった。なんの身分証も持たない私のことを信じてくれ、「ここの鍵開けるだけでいいの?」とゴミ捨て場の鍵を開けてくれたのだ。
 おじいさんに感謝を述べるなり空き缶が大量に入った袋をごそごそし始めた私を見て、「ああ!袋に入っちゃったことに後で気付いたのか。大変だったね。じゃあ!」と颯爽とマンションへ入っていくおじいさん -- 私には後光がさしているように見えた。

 大きな袋の中から小さな鍵を探すのはとても大変だったけれど、見付かった。
 私が今回の件で学んだことは3つ。
①鍵は手に持たずすぐに鞄にしまうこと。
②どんなときでもスペアの鍵を携帯すること。
③ご近所さんには笑顔で挨拶をし、困っている人がいたら助けること。

 疲れているときほどルーティンのようにこなせる動作は無意識に行いがちだが、それが大変なことにつながることもある。
 ショートカットヘアのため全く使い道のないヘアピンを引き出しにしまった後、私は温かいお風呂にゆっくり浸かった。

 

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