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いくつになっても、初めては楽しい

どこかに宣言をしておかないと、立ち消えになってしまう気がして嫌だから、ここに書いておこうと思います。
私はもうアラフィフのいい年をしたおばさんなのだけど、この年になって初めて、ある取り組みを最近始めました。
それは「フィクションを書く」ということ。
今のところは短編になる予定で書き始めています。
もともと、自分はフィクション向きではないのではと思っていた節があり、エッセイを中心に書いていければいいなと思っていたりもしたんですが、とあるきっかけであることを思い出し、これを小説にしたらどうだろう、と考えました。
それはある種の衝動のようなものだったのだけれど、形に残さなければという意識が芽生えて、舞台はどこにしよう、登場人物のモデルはあの子とアイツ、どんなエピソードをどう展開させていこうと、頭の中で考え、組み立てる作業を今はしています。
時々、文章を実際に書いて、登場人物を動かしてみたりします。
そうするたびに、取材が必要だなと思ったり、いろんなことを考えてはワクワクしたりもし、あー、こういうところを詰めていかないといけないんだなと思ったり。
よく、知り合いの脚本家さんなんかが、「実際に書き始めると登場人物が勝手に動くようになる」って言っていたりするけれど、それは綿密な取材と下ごしらえである登場人物や舞台の作り込みによるものなんだなあということがよくわかります。
早くそんな風に、登場人物に動いてほしいなあ。

私は文章の仕事だけで生きていけるほどは書いていないけど、記名であろうとなかろうと、原稿料が高かろうと安かろうと、どれも本気で書いていて、後悔しないようにしているつもりなのだけど、実際に「書く仕事」として対価をもらうものとは違うものを書くというのは、ここに書くことくらいなものなので、なんだか不思議な感じもします。
また、私の元パートナーが作家志望だったこともあり(その後書いたという話は聞かない)、私がこんな事を言っていると知ったらばかにするだろうなあとか思いつつも、実際に書きたいという衝動を抑えられないから書いているという事実を、まずはお知らせしたいと思ったのでした。
「書きたいから書いてみる」ということは「それが知りたいから取材に行く」みたいなものとそれほど変わらないんだけれど、その初期衝動のようなものがものすごく強烈で、その衝動を大切にしたいなと思いました。
この、突き動かされるという言葉がそのまま当てはまる衝動を忘れることなく、書くことを続けていきたいと思います。

もっともっと、エッセイも書きたいし、インタビュー記事とかもやりたいけど、主にnoteに書いていることって、仕事と違って、本当に書きたいから書くというシンプルな理由からなので、それを大切にしたいなあと思ったりしています。
それに、いくつになっても、初めて取り組むことはやっぱり楽しい。
それは、自分の好奇心の強さからくるものでもあるけれど、仕事でもなんでも、新しいアプリの使い方を覚えるとか、仕事の手順を覚えるとか、新たに資格試験を受けるとか、ありとあらゆることが自分の身となってそこに残ることも嬉しいし、知らないことを知るのはワクワクする。
時々、友達から「新しいことをどんどんやるのが偉い」って言われるけど、そんなのちっとも偉くなくて、毎日をワクワクで満たしていたいからでしかないと、私自身は思っています。

興味や好奇心を満たすだけでなく、自分の衝動を満たすための作業を、これからしばらく楽しもうと思います。
初めてだから時間がかかるかもしれないけど、みんな待っててくれたら嬉しいです。

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