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いつまでも近づけない、惑星のようなふたり

ひどく寂しくなった時、誰に伝えるわけでもないのに、風の便りがあるはずもない彼から、連絡が来ることが多い。
「明日休みになったから、よかったらどこか行かない?」
いつだってそれは突然で、都合さえ合えば、近場のどこかゆっくり出来るところに連れて行ってくれる。
とはいえ、彼には彼の考えや好みがあり、例えば「海に連れて行って」と伝えたとしても、自分が想像している海にはたどり着けないことが多い。
例えば、私が想像しているものが砂浜のある人気のない海でも、彼にとっては工場地帯にある岸壁だったりするのだ。
ハンドルを握るのは彼なので、そこは彼に任せることにして、あくまで「連れて行ってもらう側」として、彼の考えを尊重することにしている。
それは、彼が考えていることを少しでも知りたくてそうしているのかも知れないと、時々思う。

この間も彼から半年ぶりくらいにLINEがあって、ドライブに誘われ、久しぶりに出かけることになった。
12月を手前にして、たまたまとれた休みに声をかけてもらえたことが嬉しくて、ウキウキと身支度をする。
マスクをして隠れてしまうのに、春に買って使いそびれていた、少し淡い色のリップティントをつける。
前に「いい匂いだね」と彼が言った、いつもつけているオードトワレもつけてみた。
家の前についた彼がLINEに連絡をくれて、いそいそと車に乗り込む。
ゆっくりと夜に滑り出す車のエンジン音を聞きながら、彼の言葉に耳を傾けた。
相変わらずのヘビースモーカーで、車に置かれた荷物から、吸っているタバコが変わったことが分かる。
ラッキーストライクから両切りのキャメルに変えたみたい。
「今日は友達と茨城までクライミングに行っていてね」
彼がぼろぼろになった、テーピングをした両手を見せてくれる。
もうこの5~6年、彼は岩を登るのを趣味にしている。

峠に差し掛かる道に、突然開いたようなところにある小さな駐車場。
どうにか空いている1台分のスペースに車を入れ、エンジンを止める。
「やっぱり知っている人は知っているんだなあ」
彼は上機嫌でつぶやいて、私に車を降りるように言った。
彼は何やら、車に積んであったものをテキパキとまとめて背負い、先を歩いた。
どうやらクライミング用の道具を準備していたよう。
さては、ここでクライミングをするついでに私を誘ったのね。
呆れた気分で軽くため息をつき、彼のあとを追った。

散歩道と看板のかけられた道は、散歩と言うにはアップダウンの多い山道。
手をつなぐわけでもなく、手を差し伸べることもなく、危なくないように先を歩く彼に、なるべく遅れないようについていくだけの時間。
そういうところ、相変わらずだなあと思いながらついていく。
あたりはそろそろ紅葉が美しい時期で、渓谷のせせらぎの向こう岸には紅く色づく木々も少し見え、人が多そうなのも分かった。
「そこのベンチで待っててよ。近くの岩に登ってくるから」
そう言い残して彼はどこかに行ってしまった。
頭上には大きなもみじの木の、真っ赤に色づいた美しい葉陰が出来ていて、まあいいかなんて思えてしまうから厄介でもある。
まさかこの年になって、若い頃と同じように、彼がなにかに夢中になっているのを待つことになるとはね。
コーラ飲みながら、スケボーをしている彼を土手の上から見ていた頃と同じ。
そんなことを思いながら、岩をあれこれ見定めている様子を、渓谷沿いの川岸にあるベンチで見ていた。

彼とは、今は友達とも、恋人ともいえない不思議な関係。
よくある「友達以上恋人未満」というような、ときめきを伴う関係ではないし、恋愛感情と呼べるものは、お互いの間にはもうなくて。
寂しかったり、ふと思い出した時に連絡をして、都合が良ければ会って一緒に過ごす、という関係がもう何年も続いている。

恋人だった高校生の頃、ずっと彼を守ってあげたいという気持ちがあった。
彼を隣で見ていると、彼が繊細で傷つきやすく、だからこそ人との距離を置いて、周りに壁を作っているのがよく分かった。
自分の弱いところを人に見せることはなかったし、それをさとられまいとして生きている感じがしていた。
それはまるで、上空からコンドルに狙われた野良犬のようで、弱って歩けなくなったら襲われることが分かっているから、怪我をしたり、空腹で動くのが辛くても、うずくまることができないでいるみたいな。
私の前では、そんなふうにしなくていいよ、といつも思っていた。
彼が傷ついて隠している痛みを、代われるものなら代わってあげたかった。
どんなに彼を好きでも、そんなこと出来るわけもないのに。

「思ったように登れなかったわ。昨日手がぼろぼろになっちゃったし」
少ししょげた顔をして戻ってきて彼が苦笑いする。
「手の傷が痛むの?」
「うん、ちょっとね」
彼はきれいに紅葉した、もみじの大きな木の下に、このベンチがあることを気がつく間もなく、荷物をまとめて車に戻る準備をはじめた。

「ずっとそばに」松任谷由実


アップダウンの多い、来たときの山道とは違う道を使って国道に出て、駐車場へ戻って車に荷物を積み込む。
車のドアを締めて、彼がタバコを吸い始めるまで、これといった言葉もかわさずに黙ったままで。
「紅葉にはちょっと早かったね。それともそういう木が減ってるのかなあ」
そうだね、とうなずいた。
見つめ合うこともないまま、ふたりとも前だけを見ていた。
部屋に送ってもらうまでの、2時間ほどのドライブの間、他愛のない話を延々とする。
高校時代の友達の近況や、最近連絡をとったときの話や、最近体調を崩したから、これからどうやって生活をしていくのがいいかとか、この2年コロナで人と会っていないとか、話をしていて見えるのは、誰かとの関わりだった。
あの子はどうしてるの?あいつは何をしてる?あの人は今こうしてるよ。
そんな話が続くけれど、彼と彼の身近な人達の話は、やっぱり出てくることはない。
いつでもそうだった。
彼の心の内をもっと見せて、って思っていた。
本当の君をもっと知りたいよと。
少し強く彼の扉を叩くと、彼は拒絶して背を向けた。
私は彼の扉の前で、ただ待つしかなかった。
気が向いたら開けてくれるかも知れないし、微笑みかけてくれるかも知れないと。
あの頃、待ちくたびれて、最後には拒絶されて終わった恋が、まだなんとなく続いていて、私はまた、同じように待たされているのかも知れないと、ふと思った。
彼にもう、恋なんてしていないのに。

期待はしないほうが、裏切られた時に失望しないで済む。
そんなことも会わないうちに学んでいる。
引き合い続ける惑星のようなふたりの関係は、引き合っても近づくことはないことを、そろそろ覚えなければいけないと思う。
近づけない距離を回り続けて、きっとこれからも惹かれ合う。
それが宿命なら、受け入れるのも悪くないなと、思う。

「ラチエン通りのシスター」サザンオールスターズ

#思い出の曲

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