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原動力は「出会った2人の悲しみ」と「6年経っても変わらない現実」

先日、就活で書類選考が通った企業の面接の時、あらためて自分の行動の原動力が何かに気づかされました。

私が残りの人生でやりたいことは、ITを使って誰でもどこにいても学び働けることです。これは、ずっと変わっていません。

面接の時、活動の原動力が子供のことを通した実体験であるため、子供のことが落ち着いた時のことを尋ねられました。そのときの精一杯で答えたのですが、今思うと、もっと深い理由があったと気づかされました。

ゴールではなく通過点

私の行動の原動力は子供のことを通して経験したことです。特に学校に対する考え方は、変わった人に入るかもしれません。常々口にしていることは、学校は通過点でありゴールではないこと。そして、大切なことは

どうやって生きていくのか?

そのために、学校で学ぶのも1つの選択肢であり、いろんな選択肢があっていいと考えています。決して、学校に行かなくてもいいというわけではなく、どちらでもいいのではということです。決めるのは当事者である子供たち。

そう考えるようになったのは、自分の子供の不登校がきっかけですが、自分の子供の成長だけではありません。今でも忘れられない人が2人います。

2人の悲しみ

1人は同じようにクラスに入れなかった子です。娘が小学校に入学したばかりの頃、すぐに教室に入れなくなりました。給食だけでも食べてみたいというので、別室に登校していたときに出会った子。娘が給食を食べるために登校するようになり、一緒に食べるようになりました。

その子に、今まで給食を誰と食べていたか聞くと、1人だった。そして、寂しかったことを教えてくれました。

うまく言葉にできない寂しさや辛さがあることを、私も含め大人は全然わかっていないのだと気づかされた瞬間でした。

もう1人は、特別支援学級で一緒だった子のお母さんです。中学校への進学について話をしていた時、「どうせ未来は決まっているから。」と悲しそうに教えてくれた時です。支援学校に行っても、将来は就労支援施設など、決まった働く手段しかないという内容でした。

小学6年生で未来が決まっている。

この言葉に、私や子供たちも味わうことになるのかという、なんとも言えない絶望と悲しみを感じました。

この2人との出会いは、私にとって、今でも学ぶことと働くことに大きな問いを投げかけるきっかけになっています。

6年経っても変わらない現実

普通という枠に入れなくなった時、学ぶことはとてつもない努力をしなければ、手に入れることはできません。そして、働くことも同じです。6年経った今も、普通から外れることで得ることが難しい現実は変わっていません。

いろんな事情があってもその人に合った学びや働き方ができるようになっているのか?

というと、私の残りの人生では難しいかもしれません。

だからと言って諦めるのではなく、だからこそ、少しでも学びや働くことの課題を解決したいと考えています。

現実から逃げずに向き合うこと

周りを見渡したとき、
「笑顔で学んだり働ける人がいるのに、どうして、私や子供たちは思うように学ぶことも働くこともできないのか。同じ地球上にすんでいるのに、まるで見えない壁がある別世界にいる」
と感じることもあります。

それでも、この見えない壁が少しずつ薄くなって、いつの間にか溶けて無くなってしまう。そんな時がくるようにできることを続けたいと考えています。だから、おそらく、自分の人生が終わる時まで、ずっと向き合うことになるだろうと思っています。

アナログだけ、リアルだけのように、今まで狭い選択肢が当たり前でした。それにより、学ぶことや働くことができない人が沢山います。
ITが使えることは、ITだけではなく、選択肢にITが加わった。そのことにより、今まで諦めていた人が、チャンスを得ることができる状態になる。ということに理解を示してくれる人が、少しでも増えればいいなと思います。
そして、理解ある人が増えるような仕事を、これからできるように、模索し続けたいと考えています。

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