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今いる場所で働くということ

今日も体は日本にいても、仕事はオンライン上で海外の人と仕事をしているという、まだ慣れないけど、ワクワクする時間を過ごしています。

次のミーティングの調整のため、手帳を見ながら時差を計算していたのですが、やっぱり計算間違い。そんな自分のドジっぷりにクスッと笑える時間も楽しく感じられるって不思議だなという感じです。

オンラインがなかったら、海外にいる人と仕事をするって、不可能な私。リアルでは、近所の外出は買い物や病院など、必要最低限だけなのに…。考えれば考えるほど、やっぱり不思議な気分になります。

仕事ですから、できないことやミスがあれば、当然、指導していただくわけなのですが、そんな時間も「新しい世界はこんな感じなのか〜」と落ち込みながらも、楽しめるって幸せですね。

そんな私の気分が伝わるのか、先日、息子から
「今日はどこの国の人とミーティング?」
と聞かれ、どこの国にいる人とミーティングをしたか伝えると
「ぼくも海外の人と仕事をしてみたい!」
なんて言葉が飛び出し始めました。

高校生ですから、「普通だよ」と思う人が多いかもしれません。でも、その普通は誰の普通なのかとちょっと視点を変えていただき、温かい目で読んでいただけたら嬉しいです。

一時期は、笑うことも、何をしたいかも、何が好きかも、分からなくなっていた時がありました。人が何かをしたいという、欲求を言えることって、実はすごいことなんじゃないのかなと、最近、思うんです。

学校に行けなくなって、それまでにたくさん傷ついた心は、いつまでも残っていて、一つ一つを乗り越えるのに、想像以上の時間がかかっています。

私の仕事さえ、小さい頃の方が興味を持っていたくらいで、一番酷い時期は、ほとんど関心がなくなっていました。

それが、だんだんと、過去の記憶を思い出すたびに、たくさんの涙をながしながら苦痛を乗り越え、自分が好きなものや気になることを伝えることができるようになっているんです。

だから、年齢的には普通よりも幼いかもしれませんが、「ぼくも海外の人と仕事をしてみたい」という言葉は、その言葉に行き着くまでの過程や背景を考えると、奇跡のような言葉なのです。

ちょっと大げさと思うかもしれませんが、そのくらい、未来を想像できなかった時間が長く長く続いていたということですね。

学校だけではなく、多くの人の当たり前という場所から遠かった時、道しるべのような人がいないかぎり、真っ暗な世界に放り出されて、ずっと迷子になっている時間を味わいます。

そんな時間が長いことは、笑顔も失うし、学ぶことや働く意欲を失うことは、当然だと感じています。

だから、今回の言葉は本当に思い出すたびに、涙がでるほど、ひとりになったら泣きじゃくってしまうほど感動した言葉でした。

そして、この言葉を聞いて決意したことがあります。それは、私が働く様子を子供たちに見せることの意味です。

どこにいても、必要な「人」、「道具」、そして、「環境」が整えば、自分にあった働き方や学び方ができるということを、もっと行動で表現して行こうということです。

親の背を見て子は育つ

ということわざがあるくらいですから。

私が生きている間に、子供たちが自分の夢を持ち、未来に希望をもって生きていけるように。道は作れなくても、一つの道を表現することはできるんじゃないかと思っています。

そして、私が今いる場所で働けること、学べること、夢を叶えることを表現し発信すること。

一つ一つは些細なことでも、過去の私たち親子と同じように、先が見えない世界にいる人たちが、ちょっと元気が出て、一歩進んでみよう。そんな気持ちに、1ミリでもなってくれたらいいなって思っています。

大それたことはしたいと思わないし、できませんが、「この人ができるなら、わたしもできるかも。」そんな気分にちょっとでもなって、クスって笑えたらいいなぁ。

そのために、「10月は何を発信しようかな?」と考え中です。外の世界がどんなに変化しようとも、今いる場所でできることを持っていれば、何も怖くないですからね。

「今いる場所でできること」探してみると、きっと面白い発見があると思いますよ!

あ!私は私がいる「スキマの世界」を10月から発信予定です。お楽しみに〜♪

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