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noteやめようかと思ったけど続けることにした話

noteを続けようか、それとも、アカウントごと消してしまおうか。そんなことをここ数ヶ月考えていた。

なぜ、そう思ったのか?

というと、以前書いたnoteのときと自分の状況が大きく変わったからなのかもしれない。

当時は、自分の考えや気持ちをとにかく発信してみようという思いと、何とか仕事や収入につなげなければという焦りがあった。

今はなくなったのか?

というと、そうではない。

この記事の直前に書いたnoteのように就活をしていた。幸い、2022年8月に採用が決まり、10月から入社した。だからnoteを続ける意味を失ったのかというと、それは理由ではないのだけれど、なんとなく温度感も書きたいことも変わってきたような…そんな気がしたからだ。

数ヶ月、いろいろ考えてみて、もうしばらく続けてみようと思い、今日はnoteを書くことにした。これが、最新版の自己紹介になると思う。

世の中そんなに甘くない

2022年10月からの仕事は、私が残りの人生でやりたいとおもっていたことと、ほぼ同じだ。障害があっても、ITを使って働ける。そのために、当事者のスキルの育成や働く環境を作っていく仕事に関われることになった。

子供たちの不登校や発達障害をとおして、ITを使って学べることを実現したいと思っていた。

でも、現実はそんなに甘くない。

「学校」や「行政」の壁は厚く、「保護者」という立場からの発信は大切だけど、「保護者」だからこそ伝わらないことも多い。そして、地方だからとか、いろんな要因が絡み合っていて、とてもじゃないけど、個人で立ち向かえることではない。

だから、第三者に介入してもらうということで、福祉関係の民間企業や専門家(例えば、医師や大学など)を巻き込んだ。それでも、振り返ってみるとかなり厳しかったと感じる。詳細は長くなるので省略。

学校や行政の変化のスピードはかなり遅い。それは大きな組織になればなるほど仕方のないことで、わかっている。

でも、子供の成長は待ってくれない。

いつの間にか、小学生だった子供たちは、大学生と高校生になった。

この間、いろんなことがあった。言葉では言い表せない、いろんな感情が湧き起こって、日々葛藤だった。

だからこそ、気づいたこと。それは

個人の力では太刀打ちできない

全く太刀打ちできないかというと、そうではない。自分の子供たちのことは大きく変わったと思っている。ただ、5~6年は軽くかかったし、スムーズに行った試しは一度もない。

時間や労力だけではなく、精神的にもかなり疲弊する。

そして、娘が2022年4月から高校生になり義務教育も終了したことから、学校を少しでも変えようとするのは、私には難しかったなと気づいた。その少し前から、自分がやってみたいことは「働く」を少しでも変えることだと気づいていた。

「働く」にコミット「したい」と「しなければいけなかった」現実

理由は、子供たちのことだけではない。実際に、私自身が働くことだ大変だったから。

子供が生まれてから、フルタイムの仕事と育児の両立。責任ある仕事からの重圧とのバランス。いつ休むかわからない状況で、どうやって働くを実現するのか。そして、自分自身のメンタルの不調と発達障害とどう向き合うのか。ひとり親や不登校の子のサポートをしながらどうやって生活を支え仕事をするのか。などなど…。

書き出せばキリがないほどの少数派の少数派。よくこんな状況で生きられたなと、つくづく思う。

だからこそ、働くを少しでも変えたい。

どんな人も、どんな状況でも、ITを使って。つまり、自分に合った道具を使い、働く時間や場所、そして、理解ある人とどうやったら働けるのかを、日々、考え行動してきた。

正確にいうと、そうせざるを得なかった。

公務員という、世の中的に安定している仕事を手放してフリーランスになったときは、いろいろ混乱していた。

ご飯を食べるのも大変になりそうな時もあったし、仕事が急になくなって頭の中が真っ白になったことも何度もあった。

でも、一度も公務員を辞めたことを後悔はしなかった。なぜなら、自分にあった仕事ではなかったし、公務員を辞めた時から

どんな人も、どんな状況でも、どこにいても、働けるようにするためにはどうしたらいいのか?

を考えていた。恐らく、心の底で、自分に合った方法で社会とつながれることを実感したかったのだと思う。

だから、何度も「もう、ダメかもしれない」と思う時はあったけど、その度に、「絶対に何とかするんだ」「何とかなる」と思ってきた。

「何でもいい」じゃなくて、「何をしたい」ってやっぱり大事

いろいろやってみて、スタートの時は「働ければ何でもいい」でいいけど、最終的には自分が「働く」をとおして何がしたいのかがないとダメだったなと思った。

なぜなら、いつまでも何でもいいだと、結局、安い報酬で長時間労働になってしまいがちだったから。

10月からはずっと言葉にしてきたことを実現できるチャンスがある場で、近い思いを持った集団の中で仕事ができる。ただ、今の私では力不足なんだということも、入社して1週間で感じた。

学ぶことはたくさんある。でも、私しかできないこともある。

力を発揮できるかどうかはわからないけど、少しでも大きな壁に傷くらいつけられたら、きっと大きなヒビになっていくのだろう。小さなヒビが時間をかけて壁を崩すのだと思っている。

そう言えるのは、子供たちが私に長い時間をかけて教えてくれたことだ。だから、焦らず、少しずつ、動いていきたい。

結局、note続けることにした理由は…

長くなったけど、これからは、こんな感じで徐々に働くのことで感じたことを書いていくと思う。もちろん、子供たちの学びや成長のことも。通信制高校と通信制大学に進学したこともあり、正確にいうと不登校ではない。でも、今の不登校の親子にとって、こんな未来もあるんだと感じてくれたらいいなと思っている。

学校に行けることが大事なのではなく。その先の先。

どんな人生を過ごしたいのか。

ちょっと大きな話だと感じるかもしれないけど、そう考えることで、学校という人生の長さで考えればほんの一瞬の時間も、少し気持ちが軽くなるんじゃないかなと。

そう感じて、少しでも笑顔が増えて、「大人になったら何しよっかな?」くらいに、楽しく考えられるようになったらと。

10年前にそんなことを知っていたら、もっと私も子供たちも未来が違っていたんじゃないかなと思っている。だから、同じ過ちや悲しい時間を過ごす人が少しでも減っていくように、ぼちぼちnoteを続けてみる。

ぼちぼち、必要な人に届けばいいなと願うばかりだ。

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