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生まれと育ち

教育社会学や遺伝行動学の研究結果から、人の人生に遺伝的要因が大きな影響を及ぼしていることがわかってきた。遺伝子によって、先天的に人生がある程度まで定まってしまうのであれば、人が何かを実現しようとして努力をすることは、人生の中で、わずかに遺伝子の呪縛の及ばない可変部分のために足掻くだけの行為なのだろうか。

「遺伝か、環境か」という古くて新しい問いだが、大上段に構える必要はない。研究によって明らかになってきた「遺伝的要因が主」という結果は、あくまで体型や知能指数、性格、アルコールや薬物の依存症になりやすいかどうかなどを測るものにすぎない。

すべては宇宙の中の出来事である。太りやすいという遺伝子も、高い知能指数の遺伝子も、すべては宇宙という環境の中で生じた出来事であって、いずれはバラバラになって見えなくなる。人が何かを実現しようとして努力する行為も、すべては宇宙の中の出来事だ。

あなたという出来事も、あなたが受け継いでいる遺伝子という出来事も、宇宙という環境の中で、環境を形作るものであって、殊更にあなたやあなたの遺伝子だけを取り出して「環境」以外のものであるということはできない。あなた自身も環境そのものなのだ。

宇宙で起きていることは、すべて「正しい」。すべて、起きている出来事その通りである。無限にある並行世界の中で、実生活上の存在であるあなたが、どこにいたいのか。どこが「正しい」自分の居場所なのか。本来あるべき姿はどんなものなのか。自らが「正しい」と見極めた場所にいるために、人は実生活上、努力をするのだ。努力によって自らが「正しい」と思う居場所に辿り着く可能性があるなら、努力すればいい。

努力できなくて、今いる場所に甘んじるとしても、それも「その通り、正しい」ということになる。その場合は、そのことを受け入れる。宇宙で起きていることは、すべて正しい。すべて「その通り」である。

本来あるべき姿、いるべき場所を自ら意識していながら、そこに辿り着くための努力を怠り、現状に不満を持ちながら生きていると、意識、精神、魂とにズレを生じてしまう。現代人のストレスは、このズレによるものが多い。

遺伝的に、努力しても越えられない壁がある場合は、執着せずに諦めるのが良い。「遺伝か、環境か」という問いには、実生活上の処世術としての意味はあるが、上述のとおり「遺伝という環境」であって、それ以上の意味はない。努力をすることが、自ら定めた本来のあるべき姿だと思うなら、自分の「正しい」居場所に行けるように努力をすればいい。遺伝によって実生活上の多くの事柄が定まっているとしても、努力したければ、すればいいだけのことだ。

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