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瞑想を文字で表現する愚行・その1

ことさら人に「私は瞑想をしています」と言うことはあまりない。私にとっては、瞑想は食事や睡眠、用便に似て、あえて人に言うようなことでもない。

それでも、何かの拍子に健康法などの話になったとき、瞑想をしていることを話すことはある。マインドフルネス流行りのお蔭か、最近では瞑想の話をしてもイロモノ扱いされることは少なくなった。むしろ、「やってみたいけどやり方がわからない」という人の方が多いように感じている。

「瞑想をするとどんな効果があるのか」を聞きたがる人も多い。脳の中でなんとか波が出るようになって頭がスッキリする、ストレスが減る、仕事の生産性が上がるなど、巷にはマック・マインドフルネスな情報があふれている。それを、なんとなく知ってはいるものの、実際のところどうなのかを、やっている人に訊いてみたいということのようだ。

私は、現世利益的な効果や効能を得ることを目的として瞑想をしているわけではない。ただ好きだからやっている。だから、普段、効果・効能を挙げて人に勧めることはしていない。とはいえ、訊かれることが多いので、どのように瞑想をしているか、瞑想によってどのように私に変化があったのかどうなのかを顧みてまとめておく。

あくまで個人的な感想で、実証的なデータを取ったわけでもない。そもそも私の瞑想のしかた自体、誰に教わったわけでもなく独自の方法で、変化しながら今に至っているものだ。今後も変化するだろう。高僧のようなオーソリティも人間科学的な裏付けもない。街のレストランの様子を訊かれて「あの店は美味しい」と答えるのと似たようなものだ。私個人の所感であって一般化できる情報ではないが、気づいたことを書いておくことにする。

私は、瞑想を1日に30~40分、習慣的にしている40代後半の男性だ。

瞑想を始める前は、週に2、3回、1回につき40分くらいをストレッチに充てていた。ストレッチ瞑想とでもいうべきか、瞑想と同じような効果を感じるので、今後は1日おきに瞑想とストレッチを交互にやろうかと思う。

時間帯は、決めていない。仕事が不定期・不定形のため、一定の時間帯を定めることができないし、ルールを決めてしまうと継続が難しくなるからだ。

1回の瞑想は30~40分するのが基本形だが、時間がない日、うまくいかない時、眠い時などは15分で切り上げることもあるし、逆に時間的に余裕のある日は気づいたら1時間以上していることもある。

基本的な姿勢(体勢)は、自分の部屋で、ベッドの脇に腰かけて、目を閉じて行う。ただ、場所や座り方にはほとんどこだわっていない。私はどこにいてもある程度は瞑想の状態に入れるようになったので、外出時に喫茶店の喧騒の中ですることもある。座禅らしき足の組み方はしない。椅子に座ってすることもあるし、立ったまますることもある。

できるだけ背筋を伸ばして、骨格や筋肉、臓器が「正しい」位置に戻るように意識する。どれが「正しい」位置なのかははっきりとはわからないが、「これは正しくないだろう」という姿勢はだいたいわかる。それを避けるだけで、十分「正しい」姿勢になると思っている。

目を閉じて深呼吸をする、その際に、まずは呼吸に集中することを心掛ける。

10秒程度かけて鼻からゆっくり息を吸う。鼻が詰まっているときは口からでもいい。口から吸うと一気に吸えてしまって10秒かけるのが難しいので、基本的には鼻からにしている。

腹式呼吸にこだわらない。大きく息を吸い込んで胸や肩が上がっても構わない。いろいろなことに神経を遣わなければならなくなるのを避けるため、私は普段どおりの呼吸で、それをゆっくり、大きくするだけにしている。

鼻から息を大きく吸うと、普通の呼吸をするより脳に届く酸素が1.5倍になると聞いたことがある。本当かどうか知らないし、別に本当でなくてもいい。ただ、私は、いつも瞑想を始めて2呼吸目くらいで、鼻から吸いこんだ空気が頭の内側の後ろのところに当たるような感覚になる。人の頭蓋骨の中は空洞ではないのだから、吸った空気が直接後頭部の内側に当たることなどありえない。ただそんな感じがするということだ。それでなんとなく、脳により多くの酸素が届いているような気にもなる。

大きく息を吸って、吐くまでの間に1、2秒、「吸っても吐いてもいない時間」がある。息を止めているというより、自然にまかせて何もしていない感じだ。

吐くときは、口から30秒ほどかけてゆっくり吐く。呼吸筋だけで吐く息のボリュームをコントロールするのではなく、口を少し狭く開く形にした方が、口のところで少し抵抗ができて、一気に空気が外に出るのを避けられて楽だ。

こうすると、静かな場所では、フーッと息を吐く音が周りの人にも聞こえるくらいになる。自分でももちろん聞こえる。勝手に、この呼吸音には胎内音に近い作用があるのではないかと考えている。私の場合、「リラックスする音楽」が聞こえているより、どちらかというと自分の呼吸の音のようなものが聞こえている方が瞑想がうまくいく。そのため、集中が浅い時は、わざわざエアコンや空気清浄機をつけて送風音が聞こえるようにすることもある。

息をこれ以上吐けないというところまで吐いて、一旦、風船としての自分の身体をできるだけ収縮させることもする。毎回ではないが、これをすることで、呼吸筋や横隔膜に刺激がいくものと勝手に考えている。

次に鼻から吸うまでに、やはり1、2秒、「吸っても吐いてもいない時間」が生じる。

やることは、これだけだ。途中、いろいろな考え事が去来するが、呼吸に集中して、雑念が出てきたら、あぁ雑念が出てきたなと受け流す。焦って雑念を消そうとはしない。どこかが痒くなったり、虫が飛んで来たりすることもあるが、基本的には「あぁ宇宙の中でいろいろな出来事があるなぁ」と受け流す。

瞑想の効能・効果は、あくまで結果的に現世を生きる私たちにもたらされる身体的なものに過ぎない。私はそれらがなくても瞑想をするだろう。ただ、現世利益的なことを説明しなけらばならないとするなら、何かが活性化するとか強化されるという結果部分を表現するのではなく、心身と魂のあり方を整えることで本来のあり方に近づくということを表現するのが良いと思っている。

つまり、心身と魂を、より安定して維持できる状態に近づける。それによって、結果的に活性化するべき機能は活性化し、逆に鎮静化するべき機能は鎮静化するということだ。

そして、大事なことは、世の中に「隠された唯一絶対の法則」みたいなものはなく、瞑想によって何もかもが現世的にうまくいくわけではないということだ。ここを誤ると、瞑想をあまたある占い、風水、開運のまじないのようなものと間違えかねない。

瞑想についてのルールめいたものを厳しくしすぎると、継続するのが難しくなる。効果・効能を感じたいのなら、できれば、1回に5分以上、週に4回はやった方が良いだろうが、できるときに、できるだけの時間をやればいいし、うまくいかなくてもたまにやってみればいい。やりたくなければやらなくていい。

温泉の効果と似て、それぞれの人の体質やその時その時の状態によって、効きやすかったり効きにくかったりするものだ。前にやってみたがあまりよくわからなかったという人でも、年齢を重ねてからやってみたら良かったということもあるだろう。

私が瞑想をしていることで得られたわかりやすい効果みたいなものは、稿を改めて記そう。

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