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「隠された唯一絶対の法則」的なこと

アオウミガメは、卵から孵ったばかりの頃は体長5cmほどだそうだ。それが、ほとんど海草や藻だけを食べて、20年ほどで100cmほどにまで大きくなる。

日々摂取した海草や藻が、小さな子ガメの血肉となって身体を大きくしていく。その生命活動は、海草や藻という形のものをアオウミガメへと変えていく過程だ。

宇宙の中で、アオウミガメという出来事が起こる。それは、海草という出来事、藻という出来事を、アオウミガメという出来事に変え、さらにその捕食者という出来事や、生命活動を終えた後の身体の分解過程という出来事につながっていく。

人間の生命活動も、同じように宇宙の中の出来事だ。さっきまで「私」ではなかった肉や野菜を食べて、空気を吸って、「私」に再構成する。その再構成の仕方は、私たち自身が意図してプログラムしたわけではない。

生命活動をしているものだけではない。水も石ころも、宇宙の中の物質が、それを形作るようにプログラムされて、そこにある。石ころは、長い年月の中でやがて風化して、砂粒になり、さらに小さくなって目に見えなくなる。

石ころには、遺伝子という形での再構成プログラムがない。だから、石ころがプログラムされて起きる出来事であるというのはイメージしにくい。しかし、分子が結合して石ころを形成しているのだから、その結合の仕方はプログラムなのだ。成分をただ混ぜ合わせても生命を作れないのと同じく、成分をただ混ぜ合わせただけでは、同じ石ころにはならない。それ(出来事)を構成するプログラムが必要だ。

事業を作る起業家の行動も、パラレルなところがある。

どんな事業でも、それを成り立たせるには、持続的にお金が回る仕組みを作らなければならない。たとえば、原材料を仕入れ、加工し、製品にして売る場合、その過程を持続可能な形にプログラムを組むことこそ、起業である。プログラムにしがたって、事業という出来事が起こるということだ。

ところで、宇宙には、特定の人だけが知っている「隠された法則」「唯一絶対の方法」「信じれば救われる秘密の教え」などは、ない。

ただ、おおいなるものがあり、あなたはそのおおいなるものの中で起きている出来事であるということだ。

これまでにも何度も記してきたが、おおいなるものとあなたや私は、別々のものではない。すべてが、おおいなるものの中で生じる出来事であって、つながっている。

おおいなるものを感じるため、現世で人が行っている「スピリチュアル」な行動様式には、占い、幸せになるための法則、風水、読経、マントラ、断食、座禅、瞑想、ヨガなど、いろいろな方法論がある。それらもすべて、おおいなるものの中で生じる出来事にすぎない。

それらの中に、「隠された唯一絶対の法則」のようなものを見出そうと探し回るのは、無駄な努力になることが多い。誰かがそれを説いている場合、それはその誰かがプログラムした出来事にすぎず、おおいなるもののすべてを捉えることはできないからだ。

ブラフマー神も、ヤハウェも、アッラーも、仏陀も、イエス・キリストも、ムハンマドも、おおいなるものを私たちにわかりやすく説く。占いも風水もマントラも、おおいなるものをわかりやすく意識させてくれる。

しかし、そのわかりやすさゆえに、あたかもそれが、おおいなるもののすべてを捉え、唯一絶対の法則であるかのように勘違いをさせてしまうことがある。ところがそれらは、あくまで、おおいなるものの中でプログラムされて生じた出来事にすぎない。

あるプログラムが、多くの人に、長い年月、影響力を保っているなら、そのプログラムが整っていて安定しているということだ。新興宗教が廃れるのは、プログラムとしての整い方が甘いからで、それは企業の新規事業が失敗に終わるケースと似ている。

宗教や「スピリチュアル」な行動様式について、ある程度まで見知って「おおいなるもの」を意識するようになったら、「隠された法則」「唯一絶対の方法」「信じれば救われる秘密の教え」などを探し求めるのは、やめた方がいい。

それは、道端に落ちているかもしれない小銭を探し求めて、年中血眼になって歩き回るのと似ている。
趣味としてそれをやるなら、止めはしない。野球を見るのが好き、釣りが好き、旅行が好き、バイクが好きというのと同じように、自分が気に入ったスピリチュアルな行動様式を実践すればいい。そこには「思う存分、好きな釣りをしてきた」というのと同じような満足感はあるだろう。

人の趣味の問題だが、私は、それをするくらいなら、既にある整ったプログラムに則った宗教の活動をした方が失敗が少ないだろうと思う。

私は、「隠された唯一絶対の法則」的なことを探し求めることに、時間もお金もかけたくはない。自らが宇宙の中で束の間生じた出来事であることを識り、身心と魂を整えて安定させたいだけだ。

マック・マインドフルネスに振り回されることなく、宇宙の中の「私」以外の出来事である肉や野菜を食べ、水を飲み、空気を吸って、それらを「私」に再構成する過程を、安定して続けられたらと思う。

「隠された唯一絶対の法則」的なものなど、ないのだから。

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