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瞑想を文字で表現する愚行・その4

「瞑想のやり方がわからない」と言う人は多い。

でも、実はそう言っている人も、日々の生活の中で、瞑想と同じようなことをしている。もし、個々の行動を「瞑想度」というような物差しで判定して、0から100というようなスコアをつけるとしたら、入浴中にリラックスして何も考えていない時や、クラシック音楽を聴いている時、興味のある本を読んで没入している時、仏壇に線香を焚いて先祖のことを思う時、無心に玉ねぎを刻んでいる時など、それぞれに「瞑想度」をつけることができるだろう。

何も、「瞑想、瞑想」と殊更に特別視して、難しい方法論を修めなければならないものでもないのだ。単に深呼吸をして心を落ち着かせようとしているだけでも瞑想である。それが瞑想であると気づいていないだけで、あなたも普段から瞑想はしている。ただ、意図的にやってはいないというだけのことだ。

私は、瞑想で効果や効能を得ることを目的としていない。ただ好きだから、気持ちいいから、あるいはそれをするのが当たり前のように感じるからしている。排便する時、「これをすれば身体の中の老廃物が排泄されて健康に良いからする」と意識する人はいないだろう。それと同じようなことだ。

ただ、もし「効果」ということを気にするならば、筋力トレーニングでも鍛えようとしている部位を意識した方が効果が高いように、瞑想も意図的に、方法論に則ってした方が、「効果」が高いということはあるかもしれない。

前の稿で、私がストレッチをする時、いわゆる「ボディスキャン瞑想」のようなことをしているようだということを書いた。自らの身体と対話をし、その日の体調や各部位の疲労度によって、ストレッチのしかたを微調整する。20秒程度、同じ姿勢を保って筋肉を伸ばす。それは、瞑想と同じような営みだ。

ストレッチを身体との対話と感じているのと同様、瞑想は自分の本来のあり方とつながるためのものだ。「自分」とやらも、おおいなるものの中の出来事にすぎず、すべてはつながっているのだから、わざわざ一旦切り離して考えて、再度「つながる」などという言い方をする必要もないのだが、これが瞑想を言葉で表現することの限界である。

自分とつながったなら、他人とつながるのも簡単なことだ。これも、本来は自分も他人もなく、おおいなるものの中での出来事があるだけであって、もともと当然つながっているのだが、言葉では、あたかも切り離された別々のものがあって、それをつなげる、それらがつながるという表現にならざるを得ない。言葉には限界があり、不立文字という言葉で言葉のもつ限界を示すしかない。

他人の痛みは、物理的にはわからない。しかし、それを共感する力で感じ取ることはできる。同じように、こちらからの想念を、相手に送ることもできる。

子どもが胃腸炎で下痢をしている時、横にしてお腹に手を当てて、腸が整うように気を送ると、治りが早い。「手当て」には、映画の中で主人公の傷を一瞬で直すシーンような劇的なものではないながら、力がある。

「手当て」をするとき、自分と子どもとは別に、神仏などを外部に措定して「どうか神様、この子の胃腸炎が治りますように」というのでは、あまりに迂遠だ。もともとつながっていて、しかも目の前にいて手を当てているのだから、わざわざ第三者的な力を頼る必要がない。自らを整え、その子に直接、祈りを振り向けて、自分の胃腸炎が治るようにするのと同じように、その子の胃腸炎が治るように働きかけるのだ。

ことは、誰かがケガや病気で苦しんでいる時ばかりではない。平時であっても、誰かの幸せや心の平穏を願うことはできる。目の前にいて手を当てることができる場合に限らない。離れていても、亡くなった人に対してもできる。

瞑想をするとき、自らのボディスキャンをするのと同じように、誰かの心身、魂が本来のあり方になるように働きかける。もともと、その人とあなたはつながっているのだから、想念は必ず届く。

その人の姿、声、匂い、温もりを思い、幸せを願う。瞑想は、まずは呼吸に集中して雑念を受け流し、自らを整えることが先決だが、それができるようになったら、他の人のために想念を送るのも良い。亡くなった人への感謝でもいい。自らが整った状態で、誰かに直接感応するように送る想念は、その相手が本来のあり方に近づくのを助ける力になる。

「誰かのためにする」というと目的めいて聞こえるが、やっているうちに、これをするのが当たり前だからするというようになってくる。目的、効果、効能を求めていると、それが雑念になるが、「するのが当たり前」というところまでいくと、雑念ではなく、呼吸するのと同じように誰かの幸せを願うことができるようになる。

やはり言葉で表現するのは難しい。文字にして伝えるより、只管、瞑想する方が近道かもしれない。

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