見出し画像

普通に生きる難しさ

私は普通の仮面を被っている。
大衆が求める自分をわかっている。

普通から外れた人は異常な人だろうか?

きっと、皆んなも普通の仮面を被っている。

普通…
それは、学校に通い卒業した後に正社員で就職、
結婚して家庭を持ち、そして寿命まで生きる。

これが普通の人生だといわれるものだと思う。

さて、一体何人がこの人生を送れるだろうか?

私は20年生きてきて気づいた。

それは、"普通の基準は普通ではない"
寧ろ理想に近いものであるということだ。

それでも、普通から外れた人は異常な人?

その普通が、どれだけの人を苦しめているのだろう。

私も普通から外れた人間。
正社員を辞めて、今後結婚する気もない。

しかし、どうしてだろうか?
普通から外れていいと気づいてから楽になった。

世間体を気にしすぎていた時より、
ずっと自分のやりたい事をできている。

私は思う。
普通でないことは当たり前だ。

普通であるのが向いている人はいい。
しかし、自分のように普通が向いていない人や演じている人は即刻やめたほうがよい。

私は普通の枠組みの中にある、
未来予知すら必要のない人生がつまらないと思った。

どん底で苦しくても普通の人生ではなく、
自分が選んだ道を生きたい。

普通の事ができないのは変じゃない。
皆んなができていることができなくても悪くない。

人には向き不向きがある。
それが向いていなかっただけなのだ。

現在は、勉強や偏差値が主に人を評価する基準になっている。

縄文時代はどうだろうか?
戦国時代はどうだろうか?

もし、評価されるもの価値あるものとされるもの
全く違うモノであったら、どうだろうか?

今、評価されている人達は、間違いなく入れ替わる。

言ってしまえば、この世界で求められているものに
向いていなかっただけなのだ。

それだけなのだ。
だから、できなくても悪くない。

他の者を落ちこぼれ、などのような言葉で蔑む人は
きっと、それに気づいていない。

自分が生を受けた世界がただ運良く、
得意分野が求められる世界であっただけであると。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?