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負けず嫌い

カナダのチャウです。
先日、久しぶりに11歳の娘と夕食後にトランプでクレイジーエイトというゲームをやっていた時のことです。
途中までは楽しく遊んでいたのですが、私がもうすぐ上がりそうと察したとたん、娘は自分の番を待たずに山札からカードを引いたり、それを正当化するようなことを言い始めました。意地になって自分が勝てるまでゲームを続けようとしているようでした。

数年前、当時中学生だった次男と娘と私の三人でモノポリーやSORRYなどのボードゲームがブームだった時も、娘は負けそうになるとルール違反したり、機嫌が悪くなったりして最後がうやむやになることがよくありました。
5つ歳上の次男は妹が機嫌悪くなるのを避けるようにやんわりと諭して、事を荒立てずにさっさと居間から退散。私も内心モヤモヤしつつも、娘を強く咎めはしないままゲーム終了となることが度々ありました。歳の離れた末っ子の娘は家族からプリンセスのように可愛がられて育ったせいなのか、お兄ちゃんたちと何でも対等に渡り合おうとする頼もしさがある反面、私は彼女の勝ち気なところがずっと気になっていました。

今回はそんな娘の態度をスルーできず、ついに娘に「途中でルールを無視してまで勝とうとするなんて面白くない。もう〇〇とはトランプしたくない」とはっきりと言ってしまいました。
これまでモヤモヤしていたものが一気に口から出た感じでした。そうしたら娘は案の定、不機嫌になって、2階の自分の部屋へ駆け上がりこもってしまいました。

やれやれ、どう言えば良かったものやらと考えていると、ほどなく携帯にメッセージがあり、「ママは私のこと全然わかってない。ママがそんな風じゃ面白くない」と書いてありました。
私の態度の話じゃなくて、あなたの態度について言ってるんですけどと思ったものの、このメッセージだけでは真意がつかめずにいました。結局寝る時間になっても娘と話す気になれず、毎晩しているおやすみ前のベッド脇での会話もせずに就寝となったのでした。

翌朝、目が覚めても前夜の後味が悪いことといったらありませんでした。朝からそっけない私に、娘は「まだ怒ってるの?」と浮かない表情でこちらを伺っているのが分かりました。
私はかねてからの懸念を娘に伝えるためにちゃんと話した方がいいと思い、「トランプの勝ち負けにこだわり、負けそうになると最後に不機嫌になって他の人の手を妨害するのはルール違反だし、ママは好きじゃない」と再度伝えました。
するとあろうことか、娘から「ママが負けたくないんでしょ」と返ってきました。
それまた私の意図からポイントがずれてる! と思いながらも、ふと、なんで私ってトランプの勝負ごときでこんなに娘とキリキリ言い合いしてるんだろうと頭によぎりました。するとその疑問に答えるかのように、いろんな思いが浮かんできました。

まず思い浮かんだのは、私が子どもの頃に家族でしていたトランプ遊びの場面。親になかなか勝てず、悔しい思いをしていた当時の記憶です。
次々に神経衰弱のカードを当てていく母には勝てないとがっかりしながらも、娘と違って私はそれを態度に出すまいとしていました。間違いなく悔しさを感じていたのに、素直にそれを表せなかったのです。その瞬間「負けず嫌い」というワードが頭に浮かび、それは他ならぬ私自身のことだったんではないかと思ったら、なんだか苦笑してしまいました。
負けたことを何事もなかったかのように振る舞っていた私と、勝負に負けたくないから状況を変えようとする娘。どっちも根っこは負けず嫌い。前日の娘の態度を諫めるつもりで始めた会話でしたが、次第に彼女の悔しさと自分の過去の悔しさが同化して涙があふれ、「ママ自身にも言っているんだけどね」と言いながら、自然に娘の悔しさに寄り添う言い方に変わっていきました。

そうか、私って負けず嫌いだったんだと受け入れてみれば、娘の勝ち気なところに過剰反応していたのも頷けました。さらに、これまでモヤモヤしていたいろいろな出来事が腑に落ちていきました。
昔からトランプやボードゲーム全般や記憶力を試すクイズなどに苦手意識があって、なるべく避けようとしてきたように思います。ゲームにとどまらず、子どもの頃の教科や部活、大人になってからは仕事や趣味にまで、苦手か得意か、好きか嫌いかは、人と比べてできるかどうかが基準になっていたのではないか、と立ち止まるきっかけになりました。人生を勝ち負けで見る癖がついているのではないか?

まわりと比べていたら幸せになれないと、頭では十分理解したつもりになっていました。けれど娘の言葉をきっかけに、未だ勝ち負けにこだわってしまったり、そこにまつわる子どもの頃の感情を揺り動かされる自分を認識し、完全に人と比べるクセがついている自分にガッツリ腹落ちしました。娘のフラストレーションの根っこにあるものが自分の心の痛みと繋がっていたか
ら、これまでモヤモヤしたりうまく対処できなかったのだと思いました。

負けたくない、できないと思われたくないという感情や思考の癖があったことを認め、受け入れたら、あとは現実とどう折り合っていくかを考える番。要は負けをどう捉えるか。人生すべてのことで勝ち続けることはないし、負けて悔しい思いがあるからもっとよくなろうと改善するきっかけにすることもできるからです。
この一件は、家族との日々のやり取りで感情が大きく波立つ時は、私の中の何かが自分の感情を見直すためにサインを送っているのだと教えてくれました。

「ママは私のこと全然わかってない」という娘の言葉は、「私の悔しさを分かってない」に置き換えられるのではないかと思います。
思春期にさしかかり、幼い頃のようにどんな自分でも受け入れられて当然という思いと、何でも受け入れられるわけではないとどこかで分かっている葛藤もあり、どこまで勝手が通るのか試したい気持ちと、もうそれが叶わないという悔しさ。トランプの勝負に負けた悔しさの他にも、成長期の揺れる心がそのように表現されたのかもしれません。だから、正論を言って突き放すママではなく、彼女の残念な気持ちに寄り添ってくれるママを求めたのではないかと思っています。

娘には、勝ちたいという感情を抑えなくていいこと、でも楽しくゲームするためにルールは守ることなど伝えたいと思います。残念な結果になったらその気持ちに寄り添い、勝ちも負けも共に経験しながら伴走していく。
自分にも負けず嫌いなところがあると分かったからこそ、親として娘の幸せな人生のために伝えられること、共感できることがたくさんある。次に家族でトランプやゲームをするなら、悔しさや喜び、様々な感情を私自身が全開に出してゲームを通して娘との関わりを楽しもうと思っています。

2024年5月13日
カナダ/チャウあつよ
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ

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「ゴウに入ってはゴウに従え」
です。
ジャカルタに転居して「思い通りにいかない」ストレスに直面した執筆コーチは、自分を柔軟に変えることで対応していきす。そして、ふと思います。なぜ子どもや家族などの身近な”異文化”に対しては、こうカンタンにはいかないんだろうと。

執筆コーチが出した結論を、あなたはどう思いますか?
子育てや仕事が思い通りにいかないとき、あなたはどう対処していますか?
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