カウンセリング、受けてきました【前編】
こんばんは、疾風 遥です☆彡
残暑がまだまだ続いて暑いですが、みなさん体調はいかがでしょうか?
私は自分のペースで生活する、というペースを掴みだして、良い日が続いています。
本日は、もう1年以上通っているカウンセリングを受けてきました☆
私がパニック障害を発症した直後から、見て頂いている先生で、「あぁ、この先生に出会えて本当に良かった」と思っています。
それはなぜか?、というのを説明していきたいと思います。
私は、納得のいかないルールや常識に心の中で猛反発している自分と、表面では優等生を演じる自分がいて、ずっとその間に自分が挟まれて、苦しかったみたいです。
みたいです、っていうのも、小さい頃からそれをやっていたし、感じていたから、それが”普通”だと思っていたんです。
でも、先生に出会って思ったのは、ざっくり言うと、
「自分の考えや、価値観、それこそ経験を経て思うこと、を自分なりに大事にして良いんだよ」
ということでした。
それまで、私は、社会における理想像や、親が思うであろう”良い子”を演じてきて、趣味はあっても、人生においてやりたいことなど感じたことはありませんでした。
小さく産まれ、劣勢の状態で”普通”として生きるために、必死に頑張った26年間でした。
その頑張った日々も、決して無駄ではありません。
けれど、突如、”パニック障害”なるものを発症し、「今まで当たり前にできたこと」ができなくなった時の焦燥感は、今思い出しても辛いです。
と、同時に、何かを当たり前にできることの貴重さ、も同時に感じた瞬間でした。
私は、小さい頃から本や文章が好きで、法学部に入って法律の勉強もとても楽しかったので、読解力やそこからの発想力には自信を持っていました。
しかし、パニック障害と同時にうつ病を発症したことで、今まで普通に読んで理解できたものが、ほとんど頭に入ってこない、というのは信じられませんでした。
何かの説明書はおろか、役所で手続きの説明をして下さる方の話している内容さえも、言葉自体は分かっても、理解ができなくなったんです。
もちろん、先生に出会った頃は、まだ発作の予期不安も日常的に感じている頃でしたし、初回で「出会えて良かった」と確信したわけではないです。
それこそ、最初の問診票のようなもの(何で辛いのか、どういうことで困っているのか)ということを書く時も、頭の中がこんがらがって上手く書けなかったことを覚えています。
そして、自傷行為や加害行為の経験があるか・ないか、みたいな欄があることに、「私は本当に精神的に病んでいるのか」と事実を突き詰められる思いもありました。
今までどことなく、「そういう大変な人もいるんだ」ということは頭でわかっていても、身体的病気にはかかっても、治療や投薬でだいたい治るので、他人事だったんですね。
ゆえに、実際に精神疾患である「パニック障害」というものを突き付けられ、自分もそれで困っていることが段々と理解できてくると、何とも言えない気持ちが込み上がってくるのです。
親が頑張って育ててくれたのに、大学も出たのに、社会人も順調にやってきたのに、能力もそこそこあるのに、「何もできなくなった」。
初発作のときは1人暮らしをしていたので、両親は知りませんでした。
もう親に迷惑かけたくない。
そう思って、3日間水しか飲まなかったんです。
そんなんで死ねるわけない、って分かってても、食べる行為自体が生きる行為なので、嫌悪感でした。
私は、なお生きようとしている。
なんて傲慢で醜い存在なんだ。と。
しかし、諦めも早く、3日目の夜にして、お腹が空いて、食べてしまいます。
今思えば、これが過食症や拒食症の引き金になっていたかと思うと、3日で諦められたことは幸運だったのかもしれません。
絶望してもなお、助けて欲しい。
そう思って、実家に電話をしました。
母は、心配の声で、「今すぐ行くから待ってられる?」と言ってくれました。
今ではとても温かい言葉だったな、と素直に思えるのですが、「救世主」が来てしまう、しかも自分で呼んでしまった、ということにガッカリしたのと同時に、結局自分は母から自立できないのか、と落胆していました。
私の発作の振り返りみたいになってしまって、長くなってしまいました。
今回は【前編】として、今度後編を書きたいと思います。
後編では、私の心の回復、周りの人の変化など、お伝えできればな、と思っています。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
疾風 遥でした♪
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