男のプライド、という窮屈さ
こんばんは、疾風 遥です☆
今朝はなんだか眠りが浅く、5時に目が覚めてしまいました…。
通所したら、けっこうな方が寝れなかった。と言っていて、なにか嫌な周波数でも出てんのかね(^^;)、って思いました笑
男のプライド
「女らしさ」の強要がハラスメントになって久しいですが、「男らしさ」の強要はまだまだ男自身すら認知している人が少ないと思っています。
それこそ私は、幼少期から男らしくあることを嫌がってきたので、「かわいいね」とか、「女の子みたいだね」という言葉が褒め言葉になっていますが、大概の男性は嫌がるのだろうと思います。
しかし、女性に対して、「かっこいいね」とか、「男の子みたいだね」といった言葉は、男性に対するものと比較して、そこまで否定的なものにはならないように感じます。
もちろん、歴史上男性優位の社会形成がなされてきて、女性が虐げられてきたことは触れるまでもありませんが、現代においては、その「らしさの強要」といった側面から見れば、男性のほうがより苦しんでいるように見受けられます。
27才の私は、還暦前後の両親をもつわけですが、彼らはギリギリ「戦後スタンダード」を駆け抜けきった最後の世代だと思います。
「戦後スタンダード」とは、幼少期から勉学に励み、よい学校と、よい企業に就職して、クレヨンしんちゃんのパパ、野原ひろしのような人生を歩めることだと定義します。
バブルの頃には負け組設定だったものが、現代において勝ち組設定になるというのは、”普通”という概念を深く考えさせられます。
ただ、27才の私は、まだ軌道修正が可能な範囲で、人生設計ができます。
ましてや、新卒入社4年目にして、パニック障害となり、就労移行支援に通っているほどですから、むしろ時代の最先端を行っていると言っても過言ではありません笑
しかし、現在の40~50世代の男性はどうでしょう?
彼らは「団塊の世代」という戦後復興を支えた両親に育てられ、まさに「戦後スタンダード」を目にして育ってきた世代だと思います。
すると、どうしても「親を越えることは不可能」な状況に陥りやすいのです。
彼らが悪いわけではありません。
彼らを縛っている「戦後スタンダード」という価値観が苦しめているのです。
しかし、両親の後ろ姿を見て育ってきた彼らは、「戦後スタンダード」を捨てられていないような気がします。
30代以下の世代であれば、共働きが当たり前、との認識もあるなか、やはり彼らの中にあるのは、一家の大黒橋として、妻に専業主婦をしてもらい、自分が家族を養っているんだ。という満足感を求めているように感じます。
彼らが幼少期に植え付けられた「男らしさ」で、彼ら自身が苦しんでいることに、彼らは気づいていません。
中には、同世代に負け組だと思っていた「戦後スタンダード」に乗ることのできなかった起業家などが逆に成功しているところを目にすれば、落胆は深まるばかりでしょう。
けれど、彼らの妻や子供たちの目線になって考えてみてください。
あなたの自尊感情を満たすために妻や子供は存在するわけではないのです。
時代に気づき、男性に対して「私に働かせるなんて‥不甲斐ない」と思う人も少なくなってきているのではないでしょうか?
むしろ、「戦後スタンダード」を実現できずにただ自分自身に落胆する男性をみて、現実と家族に目を向けてほしいと思っているかもしれません。
中には「戦後スタンダード」を成し遂げた人の中でも、家族の中ではこのような状態が起きている可能性もあります。
すると、一家のためにがむしゃらに働いてきたのに、定年後に妻から熟年離婚を突きつけられて、一体何が不満だったのか、と悩む方もいるかもしれませんね。
もう勝ち組男性だけに頼る社会ではとっくにないのです。
女性だけでなく、性的マイノリティも、障がい者も何もかも、全ての人が「平等で対等な関係性」で成り立つ社会へと変わってきています。
逆にそれを一番推進できるのは、「戦後スタンダード」の価値観を捨てることのできた男性だと思います。
勝利か、敗退か、ではなく、
共存か、孤立か、のフェーズに入っていると思います。
共存も過去のような「個性の殺し合い」ではなく、「個性の尊重性」を大切にしていかなければなりません。
「男なんだから、しっかりしなさい」
「女なんだから、大人しくしてろ」
これらが遺物であることを頭では分かっていても、なかなか自分の価値観へ落とし込むのは相当な力量が必要ですよね‥。
でも、「負け」を認めたとき、初めて「勝てる」瞬間なような気もします。
そして、その「勝ち」は「価値」に変換され、成長だけでなく、周りを受容し、尊重し合いながら生きていく世の中を知ることができると思います。
有害な男らしさ/女らしさをはぎ取って、
「自分らしさ」を体現できるようになりたいです。
そこには勝ち負けではなく、「自己受容」と「他者尊重」という世界が広がっているのかもしれません。
小難しい話ながら、今日センターで先輩男性の会話を聞いていて、思った出来事を書いてみました。
「もうこんな思いはしたくないですよね」
あなたはそう言いました。
しかし私は、
「こんな経験、二度とできるような貴重なことはない」
そう思って通っています。
どうか少しでも多くの人が「本当の自分らしく」生きることができ、人々が活きる社会を作っていきたい。
一足先にセクシャルマイノリティも、障害も、受容でき始めた私は、心からそう思います。
「誰も悪くない」
「あなたも悪くない」
「私も悪くない」
悪いのは、固定概念とマジョリティ心理だけだと思う。
一人になってしまえば、できることは数少ない。
だからこそ、共存していく必要がある。
そう感じる午前でした。
疾風 遙
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