『教師の固定概念を押しつける = 学習者の可能性を閉ざす』加害者にならないために。
私が日本語教師の皆さんへサポートさせていただく際、密かに楽しみにしていることがあります。
それは、
『実は、、、』とか、
『あ、そういえば』とか、
ふと思い出したことを、つぶやいてくださる時です。
先日、ある方が
「今までの生徒さんに申し訳ない、、、」
と、言っていらっしゃいました。
私は何も言わずにそのまま聞いていたのですが、多分、その数秒間、これまでの生徒さんとの会話を思い出したり、いろんな思いがよぎっていらっしゃったのだと思います。
その間は、私はその記憶の中には入らず、邪魔せず、ずっと待ちます。
そして、その数秒間が落ち着いてから
「何かありましたか?」
と、声かけをします。
それから、その数秒間のことを少しずつお話してくれます。
この、受講生の方の「気づきの瞬間」に出会える幸せは、日本語教師トレーニングをさせていただいている立場の人間にとって、
「教えることの醍醐味」
の一つだと感じます。
そして後日、この方から
『私の偏見と固定概念で学習者の可能性を決めつけてしまっていたかもしれません。』
と、メッセージがありました。
詳細は割愛させていただきますが、このメッセージの根底にあるのは
「教師の固定概念」
です。
日本語教師経験が長くなればなるほど、
「日本語教師としての固定概念と、持たない方がいいこだわりを持ってしまう人」
が増えてくると思います。
そしてここは、「日本語教師の経験の長さ」だけではなく、このことに気づける機会がなかった理由の一つに
「教師の教師との出会い」
が、あると思っています。
今の私の立場は、まさにここです。
毎回
「本当に私でいいのかな、、、」と思いながらも日本語教師の皆さまのサポートをさせていただいています。
そして私なりに一番大切にしていることがあって、それは
「固定概念を外し、学習者の可能性を引き出せる日本語教師でありたい」
という思いです。
そのために、自分なりにこの思いを忘れないようにしているだけではなく、その思いを、私と関わって下さった日本語教師の皆さまに、常にお伝えしています。
そして、この教師の固定概念の一番怖いことは
『教師の偏見と固定概念で学習者の可能性を決めつけてしまうこと。』
だと、断言できます。
私は、この怖さを日本語教師になった最初の頃からかなり強く抱いていました。
この点には、かなり気をつけていました。
経験は、時に固定概念につながり、そしてその先に、
「教師の固定概念を押しつける = 学習者の可能性を閉ざす」
ことへの加害者になってしまう、ということが繋がっています。
これまで、何人もの学習者が
「●●先生に、無理だって言われたのですが、、、でも、本当はやってみたいんです。」
と、本音を話してくれたことがあります。
可能性は、応援者の存在によって、花開いたり散ったりします。
「固定概念を外し、学習者の可能性を引き出せる日本語教師でありたい」
つまり
『学習者の可能性の花を咲かせることができる教師になりたい』
これが
「私が目指す日本語教師」です。
『偏見と固定概念』という怖さを忘れず、
同時に、日本語教師の皆さまの心に
「生徒の可能性を引き出す気づきとスキル = 種」を蒔き続けられる「教師の教師」になりたいと思います。
Chihomi
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