ロープ 鑑賞直後の感想

 アルフレッド・ヒッチコックの「ロープ」見ました.


 主人公のブランドンは,友人のデイヴィッドを殺してチェストの中に隠すんだけど,
自分にとっては殺人も芸術だなんてたわごとを言ったり,
そのままパーティーを開いたり,
デイヴィッドの遺体を隠したチェストの上に装飾用のロウソクと料理を並べてお供え物みたいなんて言ったり,
デイヴィッドの両親と婚約者ジャネットを招待してまだデイヴィッド来てないねーなんてあえて言ったり,
しかも自分の友人でありジャネットの元彼であるケネルも招待してまた2人でやり直せるんじゃないの,みたいなこと言ったり,…

 書いてて吐き気を催すくらい嫌味な性格してる.


 ブランドンはご覧の通りひでぇ奴なんですが,

 本来サスペンスであったら,事件の黒幕が分からない状態で始まって徐々に真相に近づいていくという,いわばこのパーティーに招待された客目線で見るんだけど,
 この作品は最初から黒幕が分かっていて,ブランドンがいやらしい言動したりフィリップが怯えた表情したりする裏の意味が観客には分かっていて,招待客が違和感を感じたり真実に気づいていったりする過程をハラハラしながら見る,という構図になっていて,

 吐き気を催す邪悪であるブランドンと否が応でも同じ目線で物語を見ざるを得ない作りになってる.


 全部は覚えてないんですが,元カレを呼ばれて起こったジャネットがブランドンに「絞め殺すわよ」って言ってたり,
 カデル先生やデイヴィッドの両親がデイヴィッドはどこにいるのかと話している時カメラがずっとチェストを映していたりと,ハラハラさせる演出が多かったです.
 結末を知っている小説をもう一度最初から読み始めて,あーここ伏線だったのか!と気づくのを最初からやっているような映画でした.


 ブランドンとカデル先生の話してた殺人の話は,なんていうんでしょう,ある種の差別意識というかなんというか….

 カデル先生はおそらくすごく賢い人で,だからこそ周りがみんな愚かに見えてしまうのかもしれないけれど,愚かな人間は殺していいなんてそんなことは思ってない.

 でもブランドンは,自分の差別意識と優越感を正当化するために先生のちょっとした言葉を歪めて解釈してしまったのかなと思います.

 ブランドンは「カデル先生は社会という枠組みがお嫌いだから…」みたいなこと言ってたけど,先生自身は哲学という浮世離れした学問が出来るのは社会に守られているからという意識のある人だったのではと思っています.


 いつ頃の作品か分からず見たのですが1948年なのですね.舞台は高層階の一室だったけど,夜景の感じから舞台セットで撮影されてたんでしょうか.

 あと,演劇には三一致の法則というのがあって,時の単一(1日のうちに),場の単一(1つの場所で),筋の単一(1つの行為だけが完結)という3つの一致を守るとよいという法則があるんですが,
この作品はこの法則を満たしてるなと思いました.そういう意味で舞台でも面白くなりそう.

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!