物語の伏線回収について思うこと 伏線は主題ではなく戦略

 ちょっと前のケラさんのこちらのツイート


 この時期「あなたの番です」の最終回直後だったので,それに関するツイートと思われます.

 「伏線なんか回収しなくてもよいのだ」の一文でつっかかる方もいるけれど,伏線ばっかり変に気を遣っても良くないよね,と個人的にはとても共感できるご意見でした.




 伏線が緻密な計算のもと張り巡らされている作品というと個人的には「ズートピア」「ライフ・イズ・ビューティフル」が思いつくのだけど,
じゃあこれらって伏線が完璧だから名作なんでしょうか.


 ズートピアには,自分の中の偏見や差別意識に気づく・それを乗り越えるという主題があって,ライフ・イズ・ビューティフルも,グイドの家族への愛情や,「何があっても人生は美しい」という信条が物語の根幹を担っている.

 そういった主題を,小学生でも分かるように伝えるか,眉を吊り上げていかにも深刻そうに伝えるか,ギャグを混ぜて馬鹿話っぽく伝えるか,…という手法があって,その中の1つに「伏線を配置しながら伝える」がある.


 伏線って,主題を表現する手段,もっと言うとちゃんと伝わるための戦略であって,物語の主題ではない

 だから,伏線回収が完璧だとしてもそれだけで名作だとは言えない,
伏線回収が完璧なのはそれはそれで評価されるべきものだけれど,「計算され尽くしていますね」というだけで,伏線が完璧というその一点だけで名作にはなり得ない


 伏線回収は名作の十分条件ではないし,実は必要条件でもない.

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!