失恋のうたを聴くたびに 思い出すのは鴨長明

(勢いで書いちゃったけどなんか本当はもっと方丈記とか無名抄とか読んでから書きたかった.
後でちゃんと調べてから完成版出したい)





 「こうなりたいと願っていた未来が叶わなかった」気持ちが描かれているので失恋する曲が好きです.


 こんな曲(……になりたかったな ていうかなれるってどこかで思ってた)を聴くたびに、鴨長明を思い出してしまう.



 鴨長明
 平安末期~鎌倉初期の人物で,古典日本三大随筆の1つである方丈記の著者です.

 自分が鴨長明と言われて連想するのは
夜もすがら独りみ山のまきの葉にくもるもすめる有明の月
あれば厭ふそむけば慕ふ数ならぬ身と心とのなかぞゆかしき
見ればまづいとど涙ぞもろかづらいかに契りてかけはなれけん
この3句で,これらを元にした合唱曲もあるんです.

 当時慕っていた知人が これ暗くて好きじゃないんだわ,と言っていたのが妙にショックだったのを覚えていて,
逆にそれがきっかけでこの歌に心を動かされていることを自覚しました.



 鴨長明は代々下鴨神社の禰宜(神職の1つで,宮司の補佐役)を世襲する家系で,自身も神職となることを望んでいたそうです.
 しかし,父を亡くしたことで出世のための後ろ盾を失い,下鴨神社の禰宜となることは叶いませんでした.

 その後,河合社の禰宜に就任することを試みるも,かつて下鴨神社での禰宜の後任争いで敗北した鴨祐兼に反対され,神職に就くという望みさえ閉ざされてしまいます.
 この後に長明は出家し,大原や日野(京都市伏見区日野町)で隠居生活を送り,晩年には方丈記,無名抄などを執筆します.


 長明の人生と照らし合わせながらもう一度3句を見ると,

夜もすがら独りみ山のまきの葉にくもるもすめる有明の月
この山深い庵に独りきりのわたしは,一晩中眠れず,月を眺めていた.
月が曇って見えるのは,まきの葉が視界を遮るせいだろうか,それともわたしの涙のせいだろうか.
暁になり視界が広がると,有明の月はわたしの目にも心にも澄み切って見える.

あれば厭ふそむけば慕ふ数ならぬ身と心とのなかぞゆかしき
現世にいればこの世から逃れたいと思い,俗世から離れようとすると恋しく思う.
取るに足らないわたし自身と,そんなわたしを厭ったり慕ったりする心.
そんな身体と心の関係はいったいどうなっているのだろうか.

見ればまづいとど涙ぞもろかづらいかに契りてかけはなれけん
賀茂神社での賀茂の祭で馴染み深い諸葛を見ると,一層涙がこぼれる.
いったいどのような宿縁で,下鴨神社との縁が途切れてしまったのだろう.

こんな感じで自己解釈しています.


 生きている時代が千年近く離れていて,神職の跡取りという境遇も現代人とは随分違うのに,純粋な「どうして?」という問いは,どこか欠けているこころと共鳴するように思います.

 確かに縁が繋がっていたはずなのに,どうして叶わなかったんだろう.
 どうしてこんなに孤独なんだろう.
 どうして?どうして?


 長明の孤独な問いかけが今も胸の中に響いている.

 恋愛や失恋の歌は普通どのように聴くのか分からないけれど,
自分自身の「どうして?」と自分の中に長明が残した「どうして?」に恋する感情の何かがはまって,慰められることもあって,
知らないはずの感情とそんな風に繋がれるのは,なんだか不思議.

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!