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訪問リハビリの卒業(終了)について、わたしが思うこと

このnoteはhariさんの問題提起について、わたしが返信したコメントです。

hariさん、こんにちは

いつも楽しみにnoteを拝読しております。
今回はわたしにとって、考えが変わりつつあるトピックであるため、個人の思いを綴ろうと考えました。

「終了」に関する議論・構造について個人的にながく考えてまいりました。
そして、私が立とうとする立場は「提供元によってかわるのでは?」という結論です。

要するに
「訪問リハビリは終了を選ぶ」
「看護ステーションは継続を選ぶ」

で良いのではないか?と思うのです。

SNSで「終了しない」は悪である傾向の意見があることも承知しております。
私もそうだと考えておりました。しかし、その理由が
「企業収益が下がるから継続する」であるから、に対しての批判です。

「必要ない人」にリハビリを提供して、セラピストが楽して稼いでる。「必要ない人」に無駄なお金を引き出そうとしている、といった類の論理です。これにつきましては「アタリマエ」に言語道断。なので、これについてはお話する必要がありません。

ただ、このまくら言葉にある「必要のない人」とはどのような人なのでしょうか?
セラピストが勝手に「必要ない人」と断定してないか?という違和感です。
業界がつくりだした「目標立ててADLアップしたやんご利用者たち」もしくは「目標も立てんとダラダラリハビリやるやんご利用者たち」という前提でしょう。

ここで、看護と連携を取るわたしは看護からよく言われることがあります
「なぜ?終了するのですか?利用者さんを診ることをやめるのですか?」です。

hari先生はどのように答えますか?
「目標を達成したからです。」「浴槽のまたぎ動作がお一人でできるようになりました。」でしょうか?

確かに、それらは喜ばしいことです。しかし、看護ステーションとしての役割は
’’人々ができるだけ、自分の潜在能力を発揮して「健康の維持や慢性疾患の悪化予防から最期まで暮らすことができるような看護支援」がますます重要となる’’
※「日本の訪問看護のしくみ」公益財団法人 日本訪問看護財団より引用
と記載されています。

私は長年、病院を中心とした急性期・回復期の「リハビリフォーマット」をそのまま生活期へもってきてしまったことによって、この「終了の議論」は起こるべくして起こっているのではないか?と思い始めました。

そのリハビリフォーマットとは「終わる」を前提とした介入、ということです。病院・診療院はリハビリが「終わる」ことを目標とします(在宅にもどるので)。
ですので、訪問リハビリテーションはデイケアと連携して、「医療外来リハ」を介護保険分野に移行させた、という歴史があります。

そのため、先述した既存する「リハビリフォーマット(退院・終了)」を含んだサービスで、上記の看護目線も無いため、フォーマットどおり「終了」で問題ないのです。
しかし、そこに齟齬が生まれるのが看護ステーションからのリハビリテーションです。

「たくさんの方が訪問リハビリテーションと訪問看護ステーションのリハビリはやることが同じ」だと思っておられます。わたしも近年まではそう思っておりました。しかし、そうなると「急性期」「回復期」のフォーマットをそのまま引き継いだ形になるので、ぜんぶがぜんぶリハビリテーションは似通ったアプローチをする集団なります。

しかし、看護師さんと長く関わる上で気づいたことがあります。看護ステーションのリハビリは、やはり「看護というアイスクリームの中にリハビリというトッピングがある」ように感じるのです。
言い換えれば、リハビリ療法士ではありますが、看護としての役割も果たした中でのリハビリテーションを使っているという解釈です。

ある例を挙げます。
Aさんの下腿浮腫・腫脹で足がパンパンに腫れ上がりました、下腿感染が起こりました。
体動困難で起き上がるのも激痛が走ります。
起き上がる、立ち上がることすら出来ず、体温は38℃を超えました。

訪問リハでは:その日のリハはお休みすると思います。そして、一言「病院受診してくださいね」とキーパーソンの方に伝えて終了。の流れになるのではないでしょうか?

訪問看護リハでは:まず、看護部に連絡です。動けない、熱が起こっている状況を踏まえて、近隣往診医・主治医が診察にこられるか?を調整します。そして、バイタルを再測定。在宅にある以前、処方された薬が何であったかを明確にし、来てくれる医師に情報提供します。また、動けなくなるので奥様のオムツ介助量が多くなることが容易に想像されます。なので、尿取りパッドを少し破り、陰茎を通すように覆い被せる方法をお伝えします。オムツのヒダの部分が内側になって、尿が外へ漏れてしまわないようにご家族へ指導します。医師が到着できない、となれば、もしかすると緊急搬送も視野に入ってきます。看護師が到着します‥一緒にこれからのADLを考えます‥。私の実例を交えるとこのようなところでしょうか?

訪問看護リハの方が大変だ、なんて言いたいわけではありません。
間違いなく、看護としての一部を持ち合わせながら行うサービスだと伝えたいのです。

もし、このAさんが下腿感染が回復された後の介入は看護部とのやりとりが必要であり、清潔に保つためのサービスである足浴や、デイサービスでの塗り薬をどのタイミングで貼付するか?などの連携も必要でしょう。
それらをやった上でリハビリというトッピングをポコんと乗せるのです。

そして、このAさんは歩けるようになったから、リハビリ終了。となるでしょうか?いや、下腿感染のリスク低減を保持するための「一般状態の確認」をしながら介入するのではないでしょうか?

もういちど、公益財団法人 日本訪問看護財団の言葉を引用します ’’人々ができるだけ、自分の潜在能力を発揮して「健康の維持や慢性疾患の悪化予防から最期まで暮らすことができるような看護支援」がますます重要となる’’

訪問看護ステーションからのリハビリは最期まで暮らすことができるような支援が求められているのです。
それを考慮したリハビリとなると、簡単に「〇〇ができるようになったから終了」という形にはならないのではないでしょうか?

最後となりますが、私は「訪問リハビリテーション」と「訪問看護リハビリテーション」の違いについて、例を挙げて説明しました。

どちらも、必要な素晴らしいサービスです。
その中で、「このような違いがある」ということをご存知ない方が多いのではないか?ということです。
そして、理学療法士が看護の一部を担いながら介入しているサービスであることで「理学看護法士」と呼ばれてもいいかもしれません。なりませんけど

目的が最期まで暮らすことができるような看護支援となっているがゆえに、局所的な介入ではなく、長期広範囲的対象であることは明らかです。

であるがゆえ、議論になっている「終了するのか?どうか?」については
「訪問リハビリは終了を選ぶ」
「看護ステーションは継続を選ぶ」

という方向性で良いのではないか?と思うのです。

さっとん

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