「変わる」っていうのは、「はい、チーズ!」でポーズを変えるような瞬間的なものではないと思う。 状況や、目に映る光景は、昨日と全く変わっていない。 そんなことは問題じゃないんだ。 自分の中にある何かが、明らかに変わってきているのを感じるんだ。 変わりたい変わりたいと願ってジタバタしていた自分 過去に蓋をして、見捨ててきた自分 ネガティブにしか焦点が合わない暗い自分 そんな自分達を一切合切引き連れて進んでいく。 誰も置いていかない。否定もしない。無理に変えようとしな
過去の味はどんな味??? 美味しい味の人っているのかな。 だいたいは、苦かったり、酸っぱかったりするものだ。 辛いことがあった時、毎回毎回、 「きっとこれ以上辛いことは起こらない」 と思えるほどに辛く感じた。 そう思っていないと、 これ以上辛いことがまた起こるんじゃないかと思って怖かったんだ。 「こんなこと、辛いうちに入らない!」 なんて思えるほど、わたしは強くはない。 だから過去の辛いことを思い出すと、どれもこれも、唇が歪むほど苦くて酸っぱい。 過去に起こっ
自分の頭を讃えてみようと思ったきっかけ。 それは自分の中にある恐れに気付いたことだった。 「自分はこうでなければならない」 仕事、趣味、行動、思考 すべて社会に淘汰されないことが前提だった。 何かを選択する時、 何を基準に選んできただろう。 本当の自分に問うたことはあっただろうか。 「自分に問う」 当たり前のようで、 至極単純なことのようだけど、 いちばん本質的で大事なことのはずだ。 やってみよう。 それが社会の基準と離れていても 自分をいちばん近くに感じること
嬉しいという感覚??? 劣等感、不安感が常に付きまとう人生が長ければ長いほど、 いつの間にかその沼にさえ安心感を覚えてしまう。 嬉しいことがあった時、自分の身をすべてそこに委ねてしまったら、 次辛いことが起こったときの落差と絶望感、 またそこから這い上がるしんどさを知っているから辛い。 そんな辛いことを度々味わう位なら、沼に浸かったままでいた方がまだマシだと思ってしまう。 だから、嬉しいという感情に常にブレーキを踏んで生きてきた。 そうしていたら、本当に「嬉しい」
本当の自分を感じられる状態。 自分の中にあるトラウマ、解決出来ないまま心に棲み続ける弱さ、稚拙さ、恐れ。 目を背けたら、見えなくなったように思うけれど、 顔を違う方向に動かしただけで、それらはそこにいたままなのだ。 小さい頃、まだ幼稚園にも入る前、日課は留守番だった。 寂しくて、玄関のマットに座り、神様にお願いした。 「お母さんが早く帰ってきますように」 ドアノブが動くのをひたすら待った。 玄関に座ったままの小さいわたしも その寂しさを拭えぬまま大きくなった