教えることは人生の反芻

毒にも薬にもならないような、そんなものが書きたくなった。

なんだか昔の自分は、誰だかわからんような共感者に向かって、それがいると思って書いていたんだ。
意識高くいることが、周りとは違うって思うことこそ美徳だったんだよね、昔の俺くんさ。
認められたかったんだよね、俺くん。

疲れるからやめようね。
かっこいい文章を書くには知識も経験も足りないから。
等身大で描こうね。

今家庭教師をやってるんだ。
中3の子と中2の子。

特に中3の子の方なんだけど、自己表現が苦手なんだ。なのに内弁慶。
「僕は僕なりの勉強法がある」
「わかりました。(分かってない)」
「勉強してます。」
我が強いって言うのかな。
とてもいい個性、とても大事。
だけど、それを外で表現出来なきゃ捻くれ者になっちゃうなって思うわけ。

だから、
「ごちゃごちゃ言われたくなきゃ結果出してね」
「思うだけじゃなくて主張してみて考えようね」
って教えてた。自然と口に出た言葉たち。

あぁ、そう思える人生経験出来てたんだなって、少し明るい気持ちになったのよ。

やっぱり言葉や思いって、経験しないと出ないからさ。教育ってそういうことなんじゃないかなって感じたの。

自分の人生を開示して、これから先を疑似体験させてあげること。
そうすることで、自分の今までと比較して価値観を産み、考えて行動する。

そういうフローが教育なんじゃないかなって。

ここで大事なのは押し付けないことだよね。
それは人生の開示と疑似体験ではなく、自分の人生の複製を作ることになるから。
終着点が全く違う。気がする。

なんか上手く対比になった気がして、すごく心地よかった。こういうの考えるの好き。

児童館の経験が生きてる。
一人の人間として向き合って、言葉を交わす。
すごく大切なことを学んだ。
また顔出さなきゃな、お礼言わなきゃ。

そうやって今、人生を反芻してる。
たかだか25年の人生を。

俺より年上の人はみんな言ってくれる。
「まだ25でしょ、何したっていいよ。」
色んな人生の上に俺の人生はある。

何しようかな。今日は二年ぶりにテニスをした。とてもいい気分だったよ。
体が悲鳴をあげてる。ざまあみろ。

もうすぐ、小さくて大きな人生の転機がくる。
誰かに話すようなことではないけど、大事な大事な瞬間。
特別なことは出来ないけど、後悔なくしたい。
あとで反芻して吐き出さないようにね。
ちゃんともう一度飲み込んで、糧にする。

過去を振り返ることは悪いことじゃないよ。
自分が納得することをしようね、味方は必ずいるんだから。
教え子にもそう伝えたんだから。

前までは少し恥ずかしかったこのnote投稿も何も思わなくなった。
だってこのnote、毒にも薬にもならないからね。
別に構成も気にしない。
誰かの暇つぶしになればいい。
楽することは悪いことじゃない。半端に頑張ってるフリが1番良くない。

みんなも身体、気をつけてね。
それじゃ。


投げ銭は、私の東京への旅費の足し(表向き)と息抜きに使われます。していただけたら嬉しいですが、本当にただの大学生なのでよーーーーーーーーーーーーーくかんがえてください