人間の育ち方を見た感想を書きなぐり
なんかすっごく久しぶりな、note投稿になるなぁと時間の流れを感じます。
現在の僕、22歳。もうすぐ春、もう社会人。
今回は児童館でバイトして得た気づきを書こうと思うよ。
いっやぁ〜〜、濃かったなぁ〜 児童館。
3年くらい居たような気分。
でもすごく貴重な経験だったよ。
紹介してくれたゆうやと園井には感謝。
入ったのは9月、すごく軽い気持ちだった。
「子供と遊んで宿題見てってだけで、お金貰えんの??!?!やるしかねぇ!!!!!」
しっかし入ってみたらそんな事ない。
めちゃくそ大変。
いや考えすぎだよって思われるかもだけど
1、2回入ってみて気づいた
今まさに色んなことを覚えて大きくなろうとしてる子供たちに、影響を与えられる存在になっちまってるんだ俺って。
いや子供たちってね、なんでもすぐ吸収するしよく周りを見ている。
1つ事例を出すね。
1度、宿題をしない子供たちをこう叱った。
「(所長)さんが居ないと、宿題できないの?」
自分では彼らを注意できない苛立ちから、つい言ってしまったいけない叱り方。
次の日バイトに行った時、いつも全く自分のことには集中しないで他人にばかり注意する子が
「(所長)さんに怒られないと、宿題できないの?それは嫌でしょ?」
と注意をしていた。
これはイカンでしょと。
「宿題しなきゃいけない理由=怒られるから」になってるし。下手な武器を与えてしまった。
彼らは周りの人をよく見ていて
使えると思った言葉、言い回しをすぐに真似する。
本当によく見ている。
でもそれを言えば通じると思うから
無駄に振り回し、他人も自分も傷つける。
本当に周りが見えていない。
僕は、人間とは
「どんな風になりたいかという自意識・ヴィジョン」
があって初めて成長していくと考える。
ただその自意識やヴィジョンは、
育っていく現実的な環境に1番左右される。
多分これ、みんな分かっているようで分かっていない。環境を選べるようになったある程度成長した人達は特にそう。
だから成功者たちは、どんどんチャレンジしていこう。新しい場所でもトライしようと言うのだろう。そしてアウトプットもするべきなのだと。
ただ、一般家庭の子供たちにおいては、そうはいかない。
選べる選択肢は少ないし、そもそもそれさえ気づかない。何故かって、周りの人達が気づかせない環境にしているからだ。
・「勉強しなきゃ、後々大変だから」という曖昧な理由付けの元、行われる勉学の押しつけ。
・何もかも、情報が簡単に手に入る社会だからこそ、どの世代にも通ずる、論理的思考の放棄。
・「ありがとう」「よろしくお願いします」などの当たり前な相手への敬意の不足。
このバイトをしていて思った。
こんな育て方でいいのか?
いや、それは教えるべきじゃないのか?
多分子を持たないからこそ生まれてしまった
ぶつけどころの無い疑問、憤り。
所長さんも同じようなことを思っていて
話を聞いて昇華させてくれた。
本当にありがとうございます。
子供たちは、表面だけをめちゃくちゃ見ている。
そして便利すぎる環境が、その先の一番大事な部分を隠しているのだ。
だから、みんな頭でっかち。
もちろん、しっかりしている子も多い。
だが、家庭教師時代も含めて、我々に近い世代の人達がとやかく言われがちなのは、そういった環境に起因する。
「自己責任なんて言葉を簡単に使うな。考える脳を奪った責任を持て。」
子供を育てたことがないから言えるのかもしれないが、それどうなのって思うことが多くあった。
人を育てる難しさを改めて痛感したし
それと一緒に育てる側も一緒に育たなきゃ
人は一生伸びることはないと、強く思った。
言葉には、行動には、責任がある。
その重みを実感する人は少ないだろう。
でもこれは真理であって
この小さなことを意識するだけで
日本ってもっと良くなると思うんだ。
パチ屋に就職する僕だけど、そこで先ず
知らない世界で知識を吸収して
人を育て、見極める術を身につけるつもりだ。
その後のことはまた考える。
でも、何かしらで日本に住む人達に影響を与えて、もっといい社会にしたいという思いは変わらない。
意識高い?結構です。
やりたいことはそれだけなんだから。
なんだか書きなぐりですが、
ここまで見てくれた方ありがとうございます。
仕事が始まってもちまちま書いていくつもり。
これからもよろしゅう。
令和2年2月27日 0:52
投げ銭は、私の東京への旅費の足し(表向き)と息抜きに使われます。していただけたら嬉しいですが、本当にただの大学生なのでよーーーーーーーーーーーーーくかんがえてください