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平衡状態とサステイナブル

コロナ禍が起こって4年になる。

今やコロナ禍以前のように戻ったように見えるが、
この4年間で私達は色んなことを学ばされ、
間違いなく心の中にある色んなモノは
変化したままになっている気がする。

その中でも特に実感させられたのが
この世界が平衡状態であったということである。

「平衡状態って何だよ?」
というツッコミが聞こえてきそうであるが、
これを簡単にいうと一見止まっているように見えるものも
常に動き続けている流れのバランスで
止まっているだけのように見えているということである。

まだわかりにくいので
この記事のタイトル画に使った吹きあげパイプで
考えてみよう。

吹きあげパイプに息を吹き込むと
カゴの中に入ったボールが浮き上がる。

そして息を吹きつづけ、ボールを一定の位置で
止めようとするはこのおもちゃで遊ぶ人なら
誰しもが一度は試すことだろう。

その状態を図示すると下記のようになる。


吹きあげパイプのボールは一定の位置で
止まっているように見えるが、
そこには図で書いたような二つのエネルギーが
存在している。

一つはいうまでもなく赤矢印で書いた
息を吹くことによって与えられるエネルギーである。

そして、反対側に働く青矢印は
ボールが落ちようとする重力を表している。

吹きあげパイプのボールが一定の位置に
止まるためには、
重力で落ちようとする力と
息で吹きあげる力が同じにならないと
ならないのである。

もし赤矢印の吹きあげる力が強すぎると
ボールはパイプからはじき飛ばされるであろうし、
逆に吹きあげる力が重力よりも弱いと
そもそもボールが持ち上がらなくなってしまう。

このように一見止まっているものも
常に何か双方向の動きのバランスが取れただけで
成り立っているものが世の中非常に多いのだ。

もちろんこのことはコロナ前から理解していたが、
コロナが起こり、色んなものの流れが止まることで
この矢印のバランスが崩れ成り立たなくなったものを
私達は沢山目にしてきた。

一つの例として思い浮かぶのは物流の話である。

コロナ禍が深刻化していきた2020年末ごろから
洋上貨物を運搬するために使われている
コンテナが世界中で不足するという事態に見舞われた。

いうまでもないが、コンテナの数がコロナで
急激に減ったわけではない。

ではなぜこのような事態が起きたかというと、
コンテナを船から引き上げてトラックで運ぶ人が
感染症対策で明らかに減ってしまったからである。

そうなると特定の港にコンテナが溜まってしまうので
結果としてコンテナが不足するという事態に
陥ってしまったのである。

それ以前は常にコンテナが流れている状態だったので
常に一定の余剰をそれぞれの港や運送会社が
保有している状態だったのが、
その流れが崩れ、一方の矢印が弱まったことで
一気に滞留してしまったのである。

そのような事例をコロナ禍からの4年間で私達は
嫌というほど見せつけられてきた。

そして、極端にいうと世の中にあるものは
全てこの平衡状態で成り立っていると
実感するようになった。

厳密にいうと常に世の中は変化し続けているので
平衡状態ではないのだが、
短いスパンで見ると気が付けないほど
変化の幅は小さいということは
まさに平衡状態に近いということでもあろう。

前置きが非常に長くなったが、
この考え方が私に染みついた私は
先日とある友人が話していたことを
ふと思い出した。

その友人は私が新卒で入った会社の同期で
彼は入社3年以内に違う会社に転職をしていた。

その会社は自動車関連の商品を作る会社で
そこで8年ほど働いた後、
今の会社に転職をしたそうである。

彼が2社目に働いていた会社は
名前を聞けば誰もが知っているような大手企業。

転職をしたときに彼は給料が大幅に上がると
喜んでいたが
なぜ彼は2度目の転職を決意したのか。

それは仕事が激務過ぎるからである。

彼の職場は8時始業であるが、
実質の定時は22時で、
平均退社時刻は24時前後であった。

22時に帰ると先輩から
「今日は早いけど何かあるのか?」と
聞かれるほどの職場だったのである。

それでも友人はその環境に慣れようと
一生懸命に仕事をして
成果をだし、認められるようになった。

だが、その仕事を続けていくうちに
「この働き方で得られるものは何か?」を
考えるようになったという。

同じ家に住んでいながら子供にあうのは
週末のごく限られた時間だけ。

使う暇がないので溜まっていく小遣いと
気が付いたら家の中に自分が知らないものが
増えていく状況。

これが定年を迎えるまで続くのかと思うと
自分の人生がこのままでいいのかという
疑問が生まれたそうである。

そして、その結果彼はこの会社を辞めて
転職することにした。

そんな彼が今の会社に転職して1年ほどした頃
彼と一度会う機会があったので
その時に話を聞いてみると、
今の職場は経験も積みつつ、家族との時間も
ちゃんと取ることができるので
とても幸せだと話していた。

私は友人として彼が幸せであることに
とても嬉しい気持ちになったのだが、
その時ふと友人が前に働いていた会社が
なぜそのような体制になったのか気になったので
彼に尋ねてみることにした。

すると、友人曰くその会社自体は至って
ホワイトな企業体質なのだという。

誰もがしる有名企業なので上場もしており
コンプライアンスには人一倍厳しいので
当然といえば当然である。

しかし、彼が働いていた自動車関連部隊は
そんなホワイトな企業の中でも
治外法権の様になっており、
前述したようなブラックな体質になっているという。

それはなぜか。

自動車産業がそのブラックな労働の上にしか
成り立たない産業だからである。

こう言い切ってしまうと
自動車関連で働く方から批判を受けるかもしれないが
少なくとも自動車の部品製造にかかわっている
他の企業で働く友人も同じようなことを言っていた。

その別の友人が働く企業も大企業で、
色々な商品を世の中に出しているメーカーだが、
色々ある部署の中でも自動車に関わるところだけは
群を抜いてブラックな体質だというのだ。

これは少なからず自動車産業がそのような
働き方の上に成り立っている証拠ではないかと
私は思うのである。

トヨタ生産方式で求められるジャストインタイムは
実際に車を作るトヨタにとってみれば
とても素晴らしい考え方であると私も思う。

そして、そのやり方を下請け企業にも浸透させることで
無駄のないモノづくりをサプライチェーンから
作っていくことができるのは実に素晴らしいことである。

だが、それは下請けのさらに下請けとなる企業が
それを連鎖させてこそ成り立つものなのだ。

もとの原材料をまとめて購入せねばならなかったり、
製造品の工程上どうしてもまとめて作らざるを得ないような
商品の場合には、
半製品や製品の在庫を抱えながら製造しなくては
ならなくなるケースは容易に想像できる。

ところが、そんな企業であっても
顧客は必要なものを必要な分だけ必要な時に納入することを
求めてくる。

さらに、これは納期だけの話ではなく
コストにもダイレクトに影響してくる話である。

サプライチェーンの最終である自動車で
たくさんの利益を出すためには
当然ながら原材料コストの低減が必須となるが、
サプライチェーンの上流になればなるほど
その要求は厳しくなっていくものである。

元の原材料のコストが上がる中で
顧客からはコスト低減を求められ続ければ
どうしても無理をせざるを得ない。

そうすると少ない工数で無理な製造量を製造することが
常態化するのはごく自然なことなのだ。

しかし、これは本当にサステイナブル(持続可能)な
ビジネスモデルなのだろうか。

そう考えると答えはNoである。

こんなビジネスモデルはいつまでも続くはずがない。

どこかで最終的な自動車のコストを大きく上げたり、
納車までの納期が長くなったりさせる必要が
必ず出てくることになるのである。

ただでさえどの業界においても人手が足りないと
叫ばれている中である。

人を集めるためには人件費を上げなくてはならないし
そもそも人が少なくても製造できる方式に
切り替えていかなくてはならない中で
こんなビジネスモデルを続けていたのでは
従業員がつぶれてしまうのは火を見るよりも明らかなのだ。

実際、最近自動車の値段は上がっているし
納期も以前に比べれば格段に長くなった。

この原因は色々なことが言われてはいるが、
実際には先ほど書いたようなことが
周り回って起こっているのだと思っている。

だが、実はこれは私達が目にしているものの中で
氷山の一角なのである。

実は私達が日常的に目にしている色々な商品もm
同じような構造で成り立っているものが
色々あるのではないだろうか。

なんでもやってみる母さんが昨日書かれた
こちらの記事の中にお菓子の原材料を
自営業で作っているジョーさんのお話が出てきた。

とても面白い記事なのでぜひ読んでみて欲しいが、
この記事の中でジョーさんは週休半日という生活を
かれこれ40年続けて生きてこられたという。

奥さんとお二人でされている事業ということで
稼働させるにはこのような働き方を
せざるを得ないというのが実情なのだが、
これはサプライチェーンの中で
最終商品であるお菓子を作るメーカーが
休みなく商品を作り続けるからこその
結果であろう。

そう言う意味ではこの製菓業界は
ジョーさんの無茶な働き方の上でしか
成り立たない産業ということが言える。

しかし、この平衡状態はいつか崩れる日が
来るのは言うまでもない。

ジョーさんも年齢を重ねれば
この働き方がいつかできなくなるだろうし
原材料コストが上がり続けてしまえば
製菓業者が求める金額で提供することが
難しくなることもあるだろう。

そうすれば、このサプライチェーンは崩れ
ビジネス自体が崩れてしまうことになるのだ。

まさに今私達が見ている世の中は
色々なビジネスが崩れるギリギリの状態なのでは
ないだろうか。

吹きあげパイプも息をずっと吐き続けられないように
社会もどこかで息継ぎをしながら
吹きあげるボールを軽くしたり、
息を吹く代わりに送風機を使ったりしなくては
成り立たなくなってきている。

私達が今しなければならないこととは
まさにこれなのである。
これまで通り息を吹き続けることで
騙しだましボールを上げ続けることでは決してない。

サステナブルという言葉は決して環境だけの話ではなく
私達を取り巻く環境全体が果たして本当に
持続可能なのかを考えることなのだ。

何だかそんなことをふと思わされた
日曜日の朝であった。

ちなみに私は自動車に全然こだわりがない。

安全でちゃんと走れば何でもいいと
思うタイプなのだが、
職場の方の多くは昼休みに車の話を延々と
し続けている。

それを横目で見ていると
もしかしたら自分は少し変わっているのかと
感じることがあるが、
それは同時に嬉しいことのような気もしている。

私は私の人生のハンドルを握るだけである。

スピードも遅く、極めて燃費は悪いが
今日も人生の車を走らせて行こうと思う。


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