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リスクを恐れすぎる親

昨日も朝から息子はサッカーの試合。

早朝から弁当を作り、
車で30分ほどの会場に送っていった。

以前所属していたサッカーチームなら
そのままお任せしていたのだが、
今息子が所属するチームはコーチもボランティアなので
親も何かしら運営に貢献する仕組みである。

なので、そのまま会場に残り、
子供たちのアップのサポートや
試合中もボールボーイとして会場に立っていた。

昨日は私達が住む町でも尋常ではない暑さで
炎天下の中立っているだけでも
ふらついてしまいそうであったが、
子供たちはそんな暑さなど忘れたかのように
ピッチを走り回りボールを運んでいた。

そうして、午後2時前にすべての試合が終了し、
片付けようとしたとき
子供たちが何かを話し始めた。

何かと思っているとほどなくして息子が
「パパ、この後みんなでプールに行ってもいい?」と
聞いてきた。

家に帰った後、着替えて皆で市民プールに
行くという予定らしい。

あれだけ走り回った後によくそんな元気があるなと
驚きながらも、
こういう後に入るプールは想像するだけでも楽しい。

私は二つ返事で行っていいと返事した。

だが、この手の話を私の一存で決めてしまうと
後から妻の不満を聞くハメになってしまう。

なので帰ってからママの了承を得るようにと
釘を刺して試合会場を後にした。

家に帰るとエアコンが壊れたリビングには誰もおらず、
どうやら妻と娘は2階のエアコンがある部屋に
避難しているようであった。

試合のために用意したクーラーボックスを洗い
ユニフォームなどを洗濯して、
試合の片付けを済ませると息子がトボトボと
2階の部屋から降りてきた。

「ママが行ったらあかんって」
少し残念そうではあるが、息子の言葉からは
何となく予想していたような感じが漂っていた。

実を言うと私もこうなることは
薄々想像していた。

私の目から見れば妻は少しリスクに対して
過剰なところがあると思っている。

確かに市民プールに子供同士でいくのは
リスクはある。

水に関わることなので取り返しのつかないことに
なるリスクがあることは私も同意する。

しかし、それを避けるために
市民プールには監視員の方がいるし、
ちゃんとやっていいこととダメなことのルールは
存在しているはずである。

ましてや彼らはもう小学5年生である。
やって危ないことの判断はある程度つくだろう。

だが、妻は危ないからダメだというのだ。

本当なら私が妻に再交渉してやるべきなのだろうが、
この手の話をすると、
「何かあったらどうするん?」と反論されるのが
目に見えている。

参加する限りリスクはどうあがいても0にはならないので
そう言われると何とも言えなくなる。

子供たちがもう少し小さい時ならば
このような場合に私が一緒に参加して
見るという条件付きも可能だっただろうが、
彼らぐらいの歳になって親がついてくると
思い切ったことができず興ざめしてしまう。

それはそれで何だか申し訳ない。

このような事は過去に何度も経験しているので
息子も察してくれているらしく、
今回も特にゴネることなく受け入れていた。

だが、私の中ではモヤモヤが残った。

それは妻に対するものというよりも
世の中の風潮に対するものであるが、
ここ最近、リスクを考慮しすぎて
あまりに子供たちの可能性をつぶしていないかと
いうことである。

偶然昨日試合会場になっていた
隣町の小学校にはイマドキ珍しく色々な遊具が
校庭に設置されていた。

私と同じくボールボーイをしてた
他のお父さんとそれを見ながら
「今どきこんな遊具があるのは珍しいですね」と
話をしていたのだが、
私達が子供の頃には公園にも学校にも
少しリスクはあるが楽しい遊具が色々あった。

時々ケガをする人はいたが、
遊具で得られる爽快感はとても楽しく、
少し危ない遊び方をする友人もいた。

もちろん、これらの遊具も
普通の使い方をする分にはそれほどリスクは
高くないはずである。

だが、危ない遊び方のアレンジをした際に
稀に事故が起きてしまう。

時には危ない遊び方をする人に
偶然巻き込まれてしまったケースもあるだろうが、
大抵の場合は、危ない遊び方をするかどうかは
自分自身の判断になる。

そんな遊具が当たり前にあった時代、
リスクを取るか回避するかの判断は
子供たちに委ねられていたともいえる。

だが、今はそのようなリスクがある遊具は
徹底的に排除されている。

公園と銘打ちながら砂場しかないような
場所も珍しくないし、
そのような公園であっても球技は危険なので
禁止になっていたりする。

もはや子供たちは自らリスクを判断する
機会が極めて少なくなったのだ。

私達が子供の頃は家に帰ったら
誰と約束をしたわけでもなくても
公園に行けば誰かしらがいたので、
放課後は雨の日以外は大抵家の外で過ごしていた。

だが、うちの子供たちもそのような機会は
極めてすくない。

子供同士で遊びに行く機会はとても少ないし、
公園に行っても遊具も少なければ
ボールをけることもできない。

親として子供たちをリスクから遠ざけたい気持ちは
痛いほどよくわかるのだが、
その反面でこのまま子供たちが成長して大人になることに
とても大きな危機感を感じてしまうのだ。

自らリスクを考慮してそれを進めるべきか否かの判断を
子供のころからしてこなかった彼らが大人になれば、
当然ながらリスクを避ける方向に舵をきるだろう。

だが、人生はリスクの先にこそ
自信の成長や新しいものが待っているものである。

日本は諸外国に比べて起業する人が少ないと
昔からよく言われるが、
それは事業が失敗するリスクを考慮するからである。

だが、事業が失敗したことを糧に
次の事業で成功を収めた企業家は枚挙にいとまがない。

そんな次元の話と子供のプールの話を
一緒にするなと思う方もいるかもしれないが、
私としては根底は同じだと思うのだ。

子供たち同士で行くプールでしか学べないことは
失敗も含めて山ほどあるだろう。

間違いなく子供たちはこの経験を通して
大きな成長を得る。

その可能性を子供のころから親がつぶしてしまうのは
とてももったいないことではないだろうか。

結局昨日息子は諦めてしまったが、
この夏休みにもう一度ぐらい同じような話は
間違いなく上がるだろう。

その時にはうまい話の持って行き方を
息子に教えてやろうと思う。

”可愛い子には旅をさせよ”と言うが、
その心はいつも親として持っていたい。

ちなみに私は子供の頃、
夏休みになると学校のプール解放や
市民プールに友達同士で行って
泳ぐことがとても好きだった。

そのおかげかプールを習ったことはないのに
いまだに全く苦なく泳ぐことが出来ている。

息子曰く、彼の友人にもカナヅチの子が
何人もいるらしいが、
このような機会が少ないのも大きな理由なのだろう。

学校のプール解放でプールをぐるぐる回って
自分たちで流れるプールを作った思い出は
いまだに私の心に焼き付いている。
そんな思い出を子供たちに作ってやりたいものである。

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