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ジュースから見えた私の価値観

我が家の冷蔵庫に置かれた1本のリンゴジュース。

少し前にスーパーで買ってきたリンゴジュースで
偶然息子が飲まないというので
冷蔵庫に保管されたままになっていた。

ドアポケットのところに入れていたので
存在を忘れていたわけではないが、
子供たちに「飲むか?」と聞くタイミングを
逃したまま、2週間ほどがすぎた。

そして昨日の夜、子供たちを風呂に入れた後、
娘がお茶を飲みたいと言い出した。

最近息子に色んなことを手伝ってもらうように
意識をしているので、
コップにお茶を入れて妹に渡してやってくれと
息子に伝えた。

冷蔵庫を開ける息子。

「あ、このリンゴジュースまだあったんや。
パパ、僕これ飲んでいい?」

息子がリンゴジュースの存在に気づき突然そう言いだした。

しかし、時間は20時頃である。

私は「この時間にジュースはやめとき。お茶で我慢しなさい」と
息子に答えた。

すると息子はおもむろにこんな疑問を投げかけてきた。

「果物のリンゴならこの時間に食べてもいいのに
なんでリンゴジュースならあかんの?どっちもリンゴやし
このジュース100%って書いてあるで」

まさに息子の言う通りである。

濃縮還元の100%なの栄養価的に、、、
食物繊維が含まれないジュースで摂取すると、、、

色んな論理的な説明はできなくはないものの
息子の質問は至極まっとうである。

我が家では時々果物を買うのだが、
風呂上りに食べることが多い。

まさに息子が言うように、リンゴならOKなのに
リンゴジュースならダメとなるのは
理屈的にオカシイのである。

では、私はなぜジュースならダメだと
反射的に答えてしまったのだろうか。

それは「ジュース=悪」という考えが
心の中のどこかにあるからではないだろうか。

子供の頃からジュースを飲むというのは
一つの特別な行為であると私は思ってきた。

親がジュースをあまり買ってくれなかったからである。

今となってはマズいのだろうが、
私は時々すぐ近くの自販機に
親のタバコを買いに行っていた。

そして、その時に親がジュースのお金をくれて
ピーチネクターを買うのが何よりの楽しみであった。

しかし、それ以外では基本的にジュースは
飲ませてもらえなかった。

外食をしてもジュースは頼まないし
マクドナルドに行ってもシェイクは頼んでも
ジュースを頼むことはしなかった。

恐らく私の親がジュースは体に悪いと
信じていたからであろう。

確かに当時のジュースは今では考えられないような
原材料や添加物が入っていたのだろう。

親として子供に飲ませたくない当時の両親の気持ちは
とてもよくわかるが、
私は今の時代になってもその感覚を
息子に引き継ごうとしていたのである。

ジュースならなぜだめなのか。

その問いの後ろにあった理由は
何も論理的なものではない。

私が親からそういわれてきたからに
すぎないのだ。

子育てをしていると自分がいかに
親の影響を受けて生きてきたかを
実感することが多いものだが、
その影響は間違いなく子供にも引き継がれる。

そして、そこに正しいか正しくないかは
あまり関係ないのかもしれない。

昨日の息子の問いは私の中に隠れている
親から与えられた価値観に気づくいいキッカケになった。

いつか息子や娘が結婚し、
子育てをし始めたときに、
私が彼らに残した言葉や価値観に気づくときが
来るのであろうか。

そう思うと、何だか面白い気がする。

何せ子育てとは
自分の価値観を未来に引き継ぐ作業なのだから。

自分はいつか死に、消えていく。

しかし、遺伝子では伝えきれない価値観を
彼らに引き継いでいくことができる。

もちろん、それらはいつか薄れ
消えていくものもあるだろうが、
ほんの一つだけでも自分の残した要素が
未来に生きていれば何だか嬉しい。

もう亡くなって20年近くになる父も
息子にジュースがダメという私のことをみて
頬を緩めているのかもしれない。

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