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飲み込みやすい文章ばかり読んでいないか

最近色んな方のnoteを読むことが増えた。

先日も記事に書いたように、
今私はとある勉強会に主催者側として
参加させて頂いている。

「嫌なことを言われた時」という
テーマに沿って書かれた記事を読んで
その中にある学び要素を
コメントとして書かせて頂いている。

私自身この企画に参加させて頂くにあたり
【企画】ではなく【勉強会】となっているのは
一体なぜだろうかと感じていたのだが、
実際に参加させて頂いて、
その学びの多さにとても驚いた。

テーマは一つなのだが、
多くの方が実に色んな角度から見たエピソードを
書かれており、
自分の見方がいかに狭いものであったのかを
とても実感させられるとともに、
今後自分が嫌な言葉に出会ったときの対処を
考えながらも読ませて頂いている。

そういう理由で最近の私はいつもよりも色んな方の
記事に触れる機会が多くなったのだ。

そうして色んな方の書く文章を見ていると
文章に味の様なものがあるのを
とても感じるようになった。

私はnoteの記事をある時から今の語調で
書くようにした。

昔の私の記事を読まれた方からすれば
何だか別人が書いているような印象すら
受けるほど語調をゴロっと変えたのだ。

なぜ私がこの語調を選んだかというと、
それはこちらの方が自分の気持ちを
乗せやすいと考えたからである。

恐らく他の方のnoteも
発信者の方が心を乗せやすい語調や
文章で書かれるがゆえに
色や味のようなものを感じるのであろう。

そんな文章の味は
読んでいく上で読みやすさに大きく影響する。

似たようなストーリー展開でも
書く作家によって読み進める速度が変わるのと同じで
noteでも筆者の方が持つ文章の味によって
飲み込むまでの咀嚼回数が異なるのだ。

これはどちらが良くてどちらが悪いと
言っているのではない。

スルスルと飲み込めてしまう記事も良いし、
しっかりと咀嚼しなくてはならない記事も
もちろん正解なのである。

冒頭に書いたように、今回私は勉強会の
主催者側ということで、
それらの味の違う文章を色々と読み、
自分なりに咀嚼して飲み込んでいる。

そして、それこそが私にとって
大きな学びにもなっていると思うのである。

人はつい楽なほうに流れていく生き物である。
こればかりは脳の構造上そうなので避けられない。

しかし、だからといって咀嚼のいらない
飲み込みやすい文章ばかりを受け入れていては
やはり得られるものは少ないのである。

日ごろから柔らかいものばかりを食べていると
あごの咀嚼筋が衰えると言われるが、
これと同じように文章も時に咀嚼が必要なものを
思い切り頬ばることが必要なのではないか。

時にはなかなか咀嚼をしても
筆者の方の真意が見えにくいものもあるが、
それを自分なりに理解しようとすることで
さらに文章を深く読めるようになる。

そんな学びを得られたことは
私にとってとても大きなことであるし
この勉強会に
主催者側として参加させて頂けたことは
とてもありがたいことだと改めて感じた。

この勉強会は今月末3/31まで継続されているので、
ぜひこの記事を読んだあなたも参加してみては
いかがだろうか。

日ごろnoteを書く人も書かない人も
ご自身の文章の味をフルに活かして書いて頂けると
とても嬉しい。


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