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映画「いまを生きる」を観て

昨日、この映画を観た。

1989年にアメリカで公開され、
翌年に日本公開もされた
「今を生きる(原作題:Dead poet society」である。

この映画の舞台はアメリカにある
とある全寮制の学校。
冒頭に入学シーンが描かれており
小学生と思しき子供も映っているので
小中高一貫の学校なのであろう。

その学校の中で高校生に当たる
17歳のクラスに同校の卒業生である
新任英語教師、キーティングが赴任する。
(アメリカが舞台なので厳密には”国語”であろうが)

この学校はとても規律が厳しく、
入学式もとても儀式的。
そして、卒業生の75%が名門大学に
入学したという実績が校長から発表されるような
いわゆるエリート校である。

そんな学校の学生たちであるが、
描かれる寮生活での様子は
至って普通の男子高校生。

皆で勉強時間にふざけあったり、
禁止されているラジオをこっそりと
聞いてみたりするなど
若々しさが溢れている。

だが、そんな彼らは皆それぞれ
親からの強い期待を受けており、
「将来は〇〇大学を出て医者になれ」
「将来は弁護士になれ」
などと強いプレッシャーをかけられていた。

そんな学生たちに新任のキーティングは
他の教師とは違った教え方を最初からする。

彼が担当した最初の授業では
彼は学生たちを教室ではなく、
違うスペースに移動させ、
とあるメッセージを伝えた。

それが本作の邦題にもなった
「今を生きる」というものである。

私はラテン語や西洋文学の知見がないので
正直作中で出てくる著作や詩などは
全くわからないままであったが、
キーティングはラテン語で「今を生きる」
英語で「Seize the day」ということを
若い彼らに伝えた。

厳格な校風、授業方法に慣れている彼らは
最初こそこのキーティングの風変わりな教え方に
非常に戸惑うものの、
キーティングの考えに少しずつ心を開き、
自分たちの心の中にある
素直な気持ちに目覚めていく。

ある日学生たちはキーティングが
同学に在学中の記録を見つけた。

そして、その中には彼が「死せる詩人の会」という
サークルのようなものをしていたことが
書かれていた。

この「死せる詩人の会」というのが
本作のオリジナルタイトルである
「Dead poet society」であり、
この話をとても面白く感じた一部の学生たちが
こっそりとその「死せる詩人の会」を
再発足させる。

そこでの活動の中で、彼らは厳しい規律や
親からの強いプレッシャーに負けない
素直な心を開放していく。

その中でそれぞれの学生が、
自分が今やりたいと思えることを
少しずつながら見つけるようになる。

規律の厳しい全寮制で、しかも親がとても厳しい中で
やりたいことをやることは並大抵のことではない。

だが、それに抗いながらも
自分たちが本当にやりたいことをやろうと
していった時にある事件が起こる。

ここから先は映画の重要な部分になるので
この記事の中では詳しく触れないことにするが、
正直にいうとこの映画はバッドエンドである。

何となくこのあらすじを読むと
GTOやごくせんのような
風変りな先生が生徒たちを変えていく系の
話のように思われるかもしれないが、
この話に出てくるキーティングは
教え方は多少変わってはいるものの、
総じてとても紳士であるし、
学生たちへの態度も分け隔てなく
言葉遣いも極めて誠実である。

そして、キーティングの教えは
様々な詩にもとづいており、
今の時代を生きる私たちにとっても
とても刺さるものが多かった。

この映画が公開された1989年ごろの
アメリカがどのような雰囲気だったのか
私にはわからないが、
親が敷いたレールを半ば強制的に歩き
それに息苦しさを感じる学生たちには
キーティングの教えはきっと晴天の霹靂で
あったのだろう。

そんなキーティングの教えは
とある事件により排除されることになり、
学生たちもそれを受け入れたかのように
見えたのだが、
ラストシーンで彼らにキーティングの教えが
ちゃんと伝わっていたことがわかる
彼らの行動が描かれている。

正直、私はこのような規律が厳しい環境を
描いた作品は映画に限らず好きではない。

ダウントンアビーなどは綺麗なイギリス英語で
話されているので
英語学習の際にフレーズが抜粋されたりするが、
この作品はクローリー家という貴族家庭が舞台で
規律をとても重んじる感じが
とても息苦しく感じてしまうので私は見ていない。

実際、この映画を観始めた時には
息苦しさを感じたのだが、
それでもちらほらと見え隠れする
登場人物たちの等身大の様子に
ホッとさせられた。

今の時代を生きる私たちにとって
このような息苦しさを感じる機会は
かなり少なくなったであろうが、
先日から記事に書いているように
私達は”周りからどう見られるか”という
見えない鎖に知らないうちに縛られて生きている。

また、会社員として会社社会に生きる事で
「かくあるべし」という暗黙のルールにも縛られている。

もちろん、完全にこれらの縛りから
解放されるということは難しいであろうが、
少なくとも私たちはこの映画の邦題のように
「今を生きる」ことはできるのである。

英語ではSeize the day。直訳すると
「その日をつかみ取れ」のような意味になるが、
まさに自分の心に従い、
自分で行動を決めることで
本当の意味で私達はその日をつかむことが
できるのだ。

私はあまりバッドエンドの作品が
好きではないが、
本作はバッドエンドであるがゆえに
余計に自分たちが今何をすべきなのかを
考えさせられる作品であった。

子育てをする親として
ついつい子供たちに対して
無意識の期待を向けてしまうこともある。

そして、子供たちの自由な発想を
縛り付けてしまうような
行動をとってしまうことも
0ではない。

だが、子供も、そして私達も
間違いなく一個人であり、
皆それぞれ異なる一日をつかみ取っている。
すなわち、皆が今を生きているのである。

これはとても当たり前のことであるが
私達がついつい忘れてしまう
とても大事な事なのではないだろうか。

本作はプライム会員なら無料で
見ることができる映画なので、
ぜひ週末にでも鑑賞してみてほしい。

きっと、キーティングの教えは
あなたにも刺さるはずである。

ちなみに私は本を読むときには
その本が古いものでないかを
結構気にしながら読むタイプ。

なぜなら、その本が古いと
書かれていることもそのまま今の時代に
当てはめることができないからである。

だが、不思議と映画は古いものであっても
全く違和感がないものが多い。

これは色んなものが進歩して時代は大きく変わったようで
私達人間社会自体は実はあまり変わっていないという
証拠なのかもしれない。


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