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【note勉強会】嫌なことを言われた時

私がいつも色んな学びを頂いているnoterさんの
チェーンナーさんよりとある企画の共同主催者に
お誘いを頂いた。

日常で生活をしていると色んな場面で
人に嫌なことを言われる機会があるが、
その時にどのように感じ、どのように対処したのかを
テーマに記事を書いてもらい、
そして書いてくださった記事に対して
コメントをさせて頂くというものである。

他の共同主催者はshogoさんと雅樹(かつお)さんで
お二人とも過去にチェーンナーさんが主催された勉強会で
共同主催者をされており、
今回は私も参加させて頂く形となった。

この企画は純粋にとても面白そうであるとともに
日常では得られない学びが得られると私は感じた。

なぜなら、このようなシチュエーションに直面したとき
自分の中に生まれたネガティブな感情は
必ず自分で消化をしなくてはならないからである。

それを捨てるのか、それとも飲み込んで栄養にするのか
色んな対処の仕方があるはずだが、
日ごろその対処の仕方を人に話すことはない。

何なら自分自身がどのように処理をしたのかすら
しっかり振り返ってみないとわからないのでは
ないだろうか。

ある意味、この企画に参加し、
自分が過去に嫌なことを言われた際に
どのようにその感情を処理したのかを
振り返ってみるということは、
自分の感情処理のクセを知ることになる。

それを知ることで、次に嫌な言葉に直面した際に
自分がその処理をしやすいように
導いてやることでできるであろう。

前置きが長くなったが、
今回は私が過去に言われて嫌だと思った言葉について
お話してみようと思う。

私が社会人6年目だった頃の話である。

過去の記事でも書いたことがあるのだが、
私は入社2年目で海外赴任を経験したので、
ちょうど入社5年目で帰国して、
ようやく日本での仕事に慣れた頃であった。

その頃私は仕事で品質管理をしており
海外工場の品質向上に向けた活動を
色々としていた。

そんなある日、研究開発から私宛に
一本の電話がかかってきた。

その電話の主は私の2年後輩の
女性の研究開発部員であった。

その人が入社したころは私はすでに
海外に赴任していたので
一緒に仕事をしたことはなかったのだが、
一時帰国のときに若手で飲みに行った際に
挨拶をしていたので面識はあった。

電話の内容は私が海外で担当していた商品の
改良にあたり、
品質データの測定をしていると
その測定方法に疑問があるというものであった。

言われてみると確かに彼女の言うことは一理ある。

規定された測定の方法は解釈次第で
少し違う測定のやり方につながり、
測定値に数ミリのズレが生じてしまう可能性があった。

それを指摘して、どちらが正しいのかを
彼女は私に質問してきたのである。

私はこの電話を受けて初めてそのことに
気が付いたので、
素直にそのことを相手に伝え、
私の一存で決められることではないので
部内決定して返答すると回答した。

すると彼女から
「やり方がブレたら品質管理にならないですもんね」
という言葉が出てきた。

今から思えば全くその通りの言葉である。
何ら心が動く要素はないのだが、
その時の私はこの言葉にとても不快感を
憶えてしまったのである。

まさに頭にカッと血が上るのを
自分で感じたほどであった。

もちろん、その感情を相手には
ぶつけたりはしなかったが、
最後はかなりつっけんどんな口調で
電話を切った記憶がある。

その後、そのことがらを部内で共有し
検討をしたうえでどのように対処するかが決定された。

その決定を海外工場や研究開発に
展開しなくてはならないのだが、
その仕事は私が担当することになった。

メールでその連絡をする際に
宛先には私に電話をしてきた彼女の名前も
入れなくてはならない。

私は内心苦い気持ちを抱えながら
淡々と事務連絡をするつもりで
メールの文面を書き上げて送信した。

それでその一件は終了したのだが、
私の中で彼女のあの一言がとても
引っかかったままとなっていた。

なぜ私はあの言葉にあんなにも
不快感を覚えて、カッとなってしまったのであろうか。

自分の中で感情の正体を掘り起こしてみると
そこにあったのは
「完璧な先輩でなくてはならない」という
私の思い込みであった。

当時の私は海外赴任をしたことで
他の同期達よりも後輩社員と接する機会が
少なかった。

帰国時に同期と会って話をすると
後輩の誰かがよくデキる、誰かはデキない
などの話でよく盛り上がったのだが、
私は直接彼らと接していないので
私の頭の中で同期達が評価する声ばかりが
残っていたのである。

そして、年数が過ぎ私は日本に帰任した。

私と一緒に仕事をしていない後輩からすれば
私がどんな仕事をする人なのかはわからない状態だが、
既に彼らは数年のキャリアを持っている状態である。

まさに転職してきたような状態に
突然自分が置かれてしまったのだ。

転職ならば、自分が一番の後輩なので
教えてもらうというスタンスで行けばいいのだが、
このケースでは私は彼らの先輩である。

とうぜん海外工場での経験があるぶん、
製品については誰よりもよく知っている自負があった。

ところが私の中でその自負が
”完璧な自分を見せなくては後輩にナメられてしまう”
というような感情に誤った形で固まってしまった。

そんな状態で彼女から受けた言葉は
私にとって、
「お前は品質管理を仕事にしていて、
しかも海外でこの商品を担当していたにも関わらず
こんなことにも気づかなかったのか」
とバカにされたように感じてしまったのである。

その当時の私は色々と悩みながらも
自分に起こった感情をこう理解することができた。

言うまでもないと思うが、
彼女にはそんな意図は全くなかったであろう。

そう思うと、私にとってこの一件は
まだ完了していない気がしたのである。

そこで、私は指摘を受けた試験方法について
商品設計をする研究開発部門に実演をして見せることで
今後の誤解や測定のブレが生じないように
してはどうかと上司に提案した。

上司の快諾を得て、私は準備に取り掛かった。

そしてその中で指摘をしてきた彼女に
電話をかけた。

彼女に研究開発の担当として
一緒にこの実演を行って欲しいという打診のためである。

そうして、時間としては20分ほどであったが
私は彼女と共に研究開発部門の社員に対して
説明を行うことができた。

この頃には私自身のわだかまりは
完全に消えていた

この記事のテーマである「嫌な事を言われた時」からすると
私が言われた言葉は至って普通な言葉である。

しかし、受け手の捉え方次第で何気ない言葉が
嫌な言葉になってしまうこともある。

だが、そのような言葉に出会ったときは
自分がなぜそのような感情になるかを知るための
大きなチャンスでもあると思うのだ。

不快と思うからにはその裏に何かしらの
感情や原因が間違いなく潜んでいるはずなのである。

この経験を通して私は不快な感情との
向き合い方を学ぶことができた。

もちろんそれ以降も不快な言葉に出会うことは
何度もあったが、
その学びのおかげでその言葉に対して感じた
不快感の原因を掘り下げることができたし、
それをすることで自分のなかで感情を
咀嚼して栄養にすることができた。

生きている限り私たちは人と接しなくてならないし
嫌な言葉を受けることは避けられないであろう。

その言葉に直面した際に、まともに真正面から受けてしまうと
私たちの心は場合によっては折れてしまう。

しかし、自分の感情の変化を分析する視点を持ってみると
いい意味で斜め上からその言葉と向き合うことができる。

これはまさに嫌な言葉へのレジリエンスを
つけるということにもつながるのである。

あなたも心の中で咀嚼しきれていない嫌な言葉は
ないだろうか。

もしまだ心に残っているのであれば
それは分析してみるいいチャンスである。

#note勉強会嫌なこと言われた時



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