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見た目を気にするパイナップル

我が家はあまり果物を食べない。

それは私があまり果物を食べないから。

そんなの完全に親のエゴじゃないかと
お叱りを受けそうであるが、
これはある意味仕方ないことだと思っている。

例えば親がコーラは体に悪いものだと信じていれば
自分自身がコーラを買うことはないだろうし、
否応なく家でコーラが出ることはないだろう。

それと同じで、私は決して果物が嫌いというわけではないが
果物を食べる習慣がそもそもないので
スーパーに行ってもスルーしてしまい
我が家には果物が並ばなくなってしまう。

それだけのことである。

そんな我が家であるが、
唯一時々食卓に並ぶ果物がある。

それはパイナップルである。

私が子供の頃からスーパーに売られていたかは
正直記憶にないのだが、
少なくとも私が子供の頃にはパイナップルと言えば
缶詰で食べる果物という印象であった。

実家で生のパイナップルが出てきたことは
一度もなかったと思う。

だが自分が大人になり、家族ができて
10年ほど前に生のパイナップルに
人生で初めてチャレンジする機会があった。

それまで生のパイナップルに向かい合ったことが
なかった私は、
それをどのように切ったらいいのかが
全く想像ができなかった。

しかし、今はネットで大抵のことは調べられる時代である。

Google先生に「パイナップル 切り方」と調べ
そこに出てきたやり方に従って切ってみると
そのおいしさに私も妻も感動した。

口に広がる甘味と酸味。
そしてフワっとひろがるトロピカルな香り。

パインの味のお菓子に使われるような
人工的な香りではなく、
まさに果物でないと再現できないような
何とも言えないその香りに驚き、
私達はそれ以降時々パイナップルを
食卓に出すようになった。

そうなると必然的に我が家の子供たちも
パイナップルが好きになり、
今ではパイナップルを切って食卓に出すと
子供たちがそれを待ち構えており、
まさに字のごとく一瞬で無くなってしまうようになった。

そんなある日、妻がスーパーでフィリピン産の
パイナップルを買ってきた。

見るからに熟れていておいしそうな
パイナップルだったので、
子供たちは夕食前から
「今日ご飯が終わったらパイナップル切ってな」と
催促をするほどであった。

食事が終わり、食器を片付けながら
私はさっそくパイナップルを切り始めた。

毎回パイナップは1回に半個ずつ食べるので、
まず縦に半分に切って冷蔵庫に入れ、
そこからいつもの切り方でパイナップルを切った。

我が家で採用している切り方は
メロンの様な切り方。

くし状に切ったあと、先端の硬い部分を落とし
皮から可食部を外して切る形である。

こんな感じ(画像はhttps://delishkitchen.tv/recipes/205056319353258342より参照)

お皿にパイナップル半分をこの切り方で出すと
いつものように我先にと食べる子供たち。

そうして瞬く間にパイナップルが
無くなったかと思うと、
皮の部分についた実までも息子は食べようと
かじりついていた。

少々下品だとは思ったものの
食べ物を大事に食べる姿勢は悪くないので
そのまま静観していると、
息子が「パパ、ベロが痛くなってきた」と言った。

パイナップルにはタンパク質分解酵素が
含まれると言うが、
パイナップルを長時間食べすぎると
舌が痛くなることがある。

息子は小さいころから何度もこの症状に
陥っているのだが、
それでもおいしさに負けてしまうらしい。

やはり皮の部分についた実を食べようとしたのが
良くなかったらしい。

そうしてその日の夜は終わったのだが、
翌日の夜、子供たちは前日残した半分を
食べたいと言い出した。

カットした果物はなるべく早く
食べるほうが衛生的にも良いので、
夕食の後に切ろうとキッチンに向かった。

だが、その時に昨日息子が舌が痛くなったと
言っていたことを思い出した。

このまま昨日と同じ切り方をして出しても
舌が痛くなるだけである。

それなら最初から皮をつけずに
出せばいいのだが、
先ほど紹介した切り方で皮を付けずに
出したら何となくそっけない気がした。

そこで切り方を変えてみることにした。

半分のまま削ぎ切りのようにして
パイナップルの皮を切り落としていき、
芯の部分は包丁でうまく切っていくと
まさに缶詰の輪っか型のパイナップルを
半分に切ったような形になった。

これなら皮なしで皿に盛っても
ある程度見栄えしそうである。

そう思い、私はその切り方で
食卓に置いたのだが、
どうも子供たちの食べる速度が
昨日よりも遅いことに気が付いた。

どうしたのか聞いてみると、
美味しくないわけじゃいんだけど
いつもの切り方の方が何だか美味しい気がすると
彼らは言うのである。

試しに口に放り込んでみたが
味は昨日のモノと特に変わらないように
私には感じられた。

結局遅くはあるものの子供たちは
パイナップルを平らげたのだが、
何だか切り方一つで彼らのリアクションが
大きく違ったことに私は驚いた。

よく刺身や肉は切り方で味が変わると
言われているが、
もしかすると果物もそのような要素が
あるのかもしれない。

だが、私が今回変えた切り方は
元々やっていた切り方と見た目こそ違えど、
包丁を入れる向きも切り方もほぼ同じである。

違うのは皮の上に乗っているか否かと
すこし一つ当たりのカットが大きいだけである。

つまり、この結果は彼らが実際の味ではなく
見た目で味を判断していたということになる。

私達は目でも料理を味わうと言うが
カットするだけの果物においても
その効果は然りなのだ。

インスタ映えなどという言葉が数年前に流行り
食べ物にもフォトジェニックさが求められるように
なったと言われた時には、
何だか苦々しい気持ちでそれを見ていたが
実はそんな私も含めて多くの人は料理に
見た目をとても求めていたのである。

今のところ我が家では従来の切り方が
最もおいしそうに見えるパイナップルの
切り方ということになるが、
もしかすると今後さらにおいしく見える切り方が
見つかるかもしれない。

たかが果物を切るだけではあるが、
何だかとっても奥深い世界がそこにはあるなと
感じさせられる経験であった。

ちなみに私は子供の頃から
缶詰に入っている黄桃が
どうにも好きになれない。

桃自体は好きなのだが、
どうにも缶詰にするとあの芳香が薄れ
何を食べているのかよくわからない代物に
なってしまうのが何とも嫌なのだ。

しかも、そもそも黄色い桃を
フレッシュな状態で見たことがない。
(ネットで調べるとどうやら東北のほうには
当たり前のように売られているようである)

一度でいいからフレッシュな黄桃を食べて
「やっぱり生は美味しいな」と
思ってみたいと思うのは私だけなのだろうか。


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