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2011年3月11日

こんにちは。

奈良県生駒市にあります、はぎの台整骨院です。

3.11といえば日本人にとっては忘れられない印象的な日付けだと思いますが、僕にとっても特別な日です。震災があったことはもちろん、僕が柔道整復師になった日でもあるからです。

国家資格の壁

少し話は遡りますが、柔道整復師を志したエピソードからお話しさせていただきます。

22歳の頃、すでに結婚し、こどももいた僕は、サプリメントの営業の仕事をしていました。仕事でたまたま営業に伺った整骨院の先生に気に入られて、誘われたことがキッカケでこの業界に入ることになりました。

昔から人の身体を見るのが好きで、信号待ちの間や待ち合わせの時に人の身体の傾きやクセを眺める変なこどもでした。親からもジロジロ見るなと注意されていましたが「この人、肩の高さが左右で違うなぁ」といった観察が好きという経歴くらいで、特に治療の勉強をしたこともないまま、流れで鍼灸整骨院で働くことになりました。

しかしながら、そんなに甘い業界ではなく、何もできない自分は、雑用をこなしながら仕事が終わってから解剖学の勉強を始め、毎朝早く出勤して掃除や送迎をして、お昼休みにスタッフさんにお願いして治療の練習をさせてもらっていました。終電がなくなって院で寝泊まりをさせてもらって、治療の練習をした時期もありました

そんな生活を半年ほど繰り返していると、院長先生から実際の現場で患者さんに治療してもいいと許可が出ました。とても嬉しくて、意気揚々と向かったのですが、思ったように患者さんのお困り事を改善することができませんでした。

悔しくて、解剖学だけではなく生理学や運動学、お灸や鍼の教科書、その他の参考書を読み漁っては、患者さんに挑むという生活を一年くらいやったころ、ある程度の軽い症状であれば改善できるようになってきました。

そんな頃、同じように働いていた同僚の方々は専門学校を卒業し、柔道整復師になられました。柔道整復師になられた先生方は、知識や経験がケタ違いなのはもちろん、患者さんからの信頼感が無資格の僕とは圧倒的な壁を感じました。

院長に同じように習った治療法でも、先生方は基本的な医学的知識もあり、手の感覚も練り上げられているため、理解が深くできているので、僕がやるのとまったく違う治療法に思えるくらい効果が違いました

この業界でやっていくには、国家資格がなければ話にならないと痛感し、きちんと患者さんのお困りごとを改善できる柔道整復師になろうと決めた出来事でした。


資格取得に奔走した三年間

資格のためには専門学校に通いながら、治療院ではたらく必要があったので、思い切って職場を変える事にしました。たまたま近所に新規開業される整形外科があり、採用してもらうことが出来ました。

しかしながら整形外科は、週に4日3時間か5時間しかはたらけないようなシフトでした。当時、妻も働いてくれてながら、こども二人が通園しているような状況でした。生活していくためにお金も必要だったので、早朝バイトから整形外科に勤め、お昼は専門学校、夕方からもう一度整形外科で勤めて、さらにもうひとつバイトに行く。深夜に帰ってから勉強するという生活が三年間続きました。

本当に二度としたくないくらい大変な生活でしたが、妻の献身的なサポートもあり、専門学校では次席を取る成績で接骨医学賞を受賞できました。


合格発表の日が3.11


試験後の自己採点でまちがいなく合格していると思っていましたが、やはり公式の発表を聞くまでは心中が穏やかではなかったです。

発表当日、僕は実家にいて、妻は叔母と買い物に出ていました。結果発表で合格を知り、すぐに報告しようと電話を掛けると「…お客様のおかけになった電話番号は…」のアナウンス。何度かけても同じアナウンスばかりで一向に繋がりません。この時は地震の事は全く知らずに、携帯電話の充電が切れたのか、電波の届かない地下にでもいるのかくらいに思っていました。

「まぁ帰ってきたら直接言えばいいや」と思って、なんとなくテレビを付けた時、本当に驚きました。見たこともない凄惨な映像に、心が締め付けられました。津波から車で逃げる映像を見て、一人でテレビ越しに「逃げろー」と叫んだのを今でも憶えています。

まもなくして妻は無事に帰宅し、僕の合格よりも先に震災を知ることとなり、結局、合格を伝えることが出来たのは、夜のことでした。

ただ僕は専門学校に行く前から資格取得後、すぐに自分の院を開院しようと決めていましたが、このよう状況で僕だけやりたいことをしてもいいのかなと何度も考えさせられました。

それでも何人かに開院しようと思うという相談をして「日本が大変な時に自分たちまで塞ぎこんでたら余計にアカンやろう」という答えに至り、開院の段取りを進めました。

先行きが見えず、目の前は壊滅的な被害の報道だらけで暗くなっていましたが、この時に明るく前を向いて歩いていたことで良いご縁にも恵まれたと思います

はたらきながらノートに開院の計画を書き込んで、とてもワクワクしたのを今でも憶えています。

おもい


柔道整復師になって10年。気が付けばという感覚で、本当に早かったですが、当時に抱いていた想いはブレずに院をやってこれていると思います。

治療においては、いまだに改善できないお困りごとに出会って、凹むことだらけです。でもカンタンじゃないからこその面白さも感じています。

改善できないものに出会う度に深く勉強したり、セミナーに出たりして、少しづつではありますがレベルアップもできてるかなと思います。


家族においては、こどもは中高生になりました。長子が小学校入学のタイミングだったので、ランドセルなどの準備と一緒に、開院の買い物をしたのもいい思い出です。

実家にほったらかして自分はバイトと専門学校で家におらず貧乏させた三年間が終わって、ようやく恩返しできると思った日でした。家族には感謝しかなく、毎日ひしひしと成長を感じています。

10年走って来ましたが、ここからは計画的に現実味のある未来を創っていきたいと思います。

治療家としてもっとレベルアップするため治療は治療の勉強と研鑽はこれからも続けようと思っています。

また人に対する会話や挨拶、気遣いといった対人スキルをもっと磨き、これから先もここで愛される治療院になれるように頑張りたいと思っています。


3.11は震災への鎮魂の想いはもちろんありますが、僕の根源となっている「柔道整復師」になった記念日でもあります。

誕生日や結婚記念日と並ぶほどの特別な一日であることには変わりなく、これからも毎年この日付を見る度に、頭の中では当時の風景が鮮明に蘇ってくると思います。

被災地では今も数多くの課題が残っています。被害のなかった奈良県の小さな院ですが、自分の想いを発信していこうと思います。その先で何かできる事を考えて少しでもお手伝いできればと思います。



はぎの台整骨院

0743760030

https://www.hdbdw.work







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