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不思議なことがいっぱい起こっている。

このごろのブログでは、このたび
宮﨑駿監督のブルーレイ作品集を購入いたしまして、
そして、そのなかからまずは
『崖の上のポニョ』を観たことを申しました。
まず最初に『ポニョ』を観ようと思ったのは、
おとといのブログでもしるしましたが、作品集を購入して
一緒に住んでいる母と観たいなあと思い、でも、
母はジブリの作品をあんまり知らなくって、
その母と相談しながら、まずは! と決めました。

そして、映画を観終わってから、母に
「どうだった〜?」と訊ねると、母は、
「ポニョがかわいかった! でも、
内容はけっこうむつかしかった。」とおっしゃった。
つまり、駿さんは、なにを言いたくって
この映画をつくったんだろう? というような。
それを聞いてぼくは、なんだか、
そういうのはどちらでもよいような気がする、というか。
制作した人が何を表現したくて作品をつくったか、って、
考えてもわからないし、つまり、たとえば
インタビュー等で話されてなければ、
鑑賞者側はぜんぜんわからない。
そもそも、そのような
「言いたいこと」や「表現したいこと」が、
ほんとうにあるのかどうかもよくわからない。
ぼくらが考えられることと言えば、作品を鑑賞して、
あのシーンはこういうことなのかなあ? って、
深読みのようにすることだけかなあ。

ぼくだっても、たとえば
『崖の上のポニョ』という作品について、
きちんとした解釈をできているわけでもないし、
感想とか、解説とか、説明とか、ぜんぜんできない。
母曰くのような、内容がむつかしいと言えば
めちゃくちゃむつかしいとも思える。。。

『ポニョ』のなかでね、ぼくの
すきなセリフはたくさんありまして。
それは、たとえば
さくじつのブログでも申しあげました、
介護施設の利用者「トキさん」がポニョを見て言った
【うえー、いやだ、人面魚じゃないか。
 早く海に戻しとくれ。津波を呼ぶよ。】
【人面魚が浜に上がると津波が来るんだ。
 昔から、そう言うんだよ。】
もそうだし、はたまた
宗介のお母さん・リサが宗介へと伝えた
【宗介ね、今、この家は嵐の中の灯台なの。
 真っ暗な中にいる人は、
 みんなこの光にはげまされているわ。
 だから、誰かがいなきゃだめ。】
のことばもよいなあ。そしてさらには、この
リサの言うセリフのつづきとして、
【不思議なことがいっぱい起こっているけど、
 今はなぜなのかはわからない。
 でも、そのうちにわかるでしょう。】
ということばがとってもすきなんだなあ〜。

『ポニョ』もそうだし、そのほかの
宮﨑駿さんの作品もそうだと思うけれども、
キーワードは、おそらく、この
「不思議なことがいっぱい起こっている」
だと思うのよね。つまり、なにか
よくわからないことが起きていて、その
よくわからないことを、宗介の母・リサは
「不思議なこと」と表現した。

たとえば、藤子・F・不二雄さんは
「SF(サイエンスフィクション)」のことを
「すこしふしぎ」と提唱したと存じますが。
映画、漫画、小説、ドラマ、演劇、などなどの
ストーリーのなかでは、ときおり
よくわからないことが起きる。
『ポニョ』で言うとすると、宗介が
「魔法」と言ったりしていたようなこと。
魔法、超能力、妖術、まじない、超自然現象、奇跡、
ことばでは説明できがたいこと、それらは、つまり
「不思議」なことだと言えるのでしょう。

この現実の世界においても、そのような
不思議なことはおそらくたくさんあって、
それらの出来事を
「不思議」と名づけながら、
そして、リサの言われるような
「そのうちにわかるでしょう。」
と思うことが、生きるうえには
大切なのやもしらない。

‥‥みたいなことをね、
『ポニョ』を一緒に観た母にも伝えると、
そうかあ、そうねえ、「不思議」ねえー。
というふうに納得した感じだったのですが。
そう言うぼくもまた、この
「不思議」ということばがさ、
とっても大事なんだなあ! って、
あらためて映画を観ながら想いました〜。

令和6年7月12日


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