我燃ゆ-2.誰のために?

プレッシャー

OB・OG(以下OB)という存在との関わりは、弊部のような大学合唱団が持つ宿命のようなものである。本当にありがたいことに、弊部のOBたちは我々現役の活動を大いに気にかけてくれているし、この類の話にありがちな面倒なしがらみもない。

その中でも僕が勝手に気にしていたのは、2014年のコンクール全国大会で金賞を受賞された先輩方の存在である。

先輩方の実績は、「自分たちでもできるんだ」という勇気を与えてくれる。当時の演奏の録音を何度も聴いて憧れを抱いたし、その演奏は今の我々に足りないものをいつも教えてくれた。

コンクールに関して言えば、2019年に賞なし・最下位に終わって以降、コロナ禍もあり出場さえできていなかったので、先輩方には申し訳なく思う気持ちがあった。コンクールだけでなく、ここ数年は活動規模的にも小さなものになっていたから、今年は完全復活の年にしたい、その一環にコンクールの出場があれば良いと思っていた。

また、我々が過去の実績をモチベーションに活動を頑張っているように、未来の都立大グリーにとっても、コンクールの結果はとても大事だと思う。じっさい、2014年以降は弊部の人数も30人を超え、男声合唱組曲「そのあと」(詩・谷川俊太郎、曲・上田真樹)の委嘱初演など、精力的な活動を行えていた時期もあった。

コンクールの結果というのは、わかりやすく多方面に影響を与えると思う。そういった意味でも、失敗するわけにはいかない、と僕は勝手に気負っていた。


本音を言えば、過去に実績を残した先輩方がいることで、僕にとっては少しやりにくさも感じられた。結果が残せなければ、僕は先輩方と比べて実力のない練習責任者、として見られてしまうのではないか。「ダメな世代」と思われてしまうのではないか。どうでも良いと言えばどうでも良い不安が頭を過ることもあった。

自分の将来のこと

もう一つ、僕がこれほどにコンクールに燃えた理由がある。僕の人生はトータルで見るとはっきり申し上げて行き詰まっているのだが、コンクールはそんな状況を打破してくれる可能性がある。

僕は合唱コンクールの妙に生ぬるい感じがあまり好きではない。結果を受けてお互いを讃え合うことは言うまでもなく素晴らしいことだ。まして音楽に絶対的なな基準はないから、勝負に熱くなりすぎても音楽の本来の良さが失われてしまうだろう。

けれど、コンクールの結果は、場合によっては人生を左右することもあるのだ。僕は合唱が好きで、合唱で食べていけるならこれ以上の喜びはないと思っている。今回のコンクールで結果を残せば、色んな人と知り合えたり、場合によっては名前を売ることもできるだろう。もちろん上手くいくことばかりではないはずだが、少しでも音楽家としての人生に希望が見出せるのであれば、それにすがる他はない。

個人的なエゴだけで都立大グリーとしてコンクールでの結果を求めた訳では当然なく、むしろそれは副次的なものなのだが、とはいえこういった「欲」があったのも事実である。そして、合唱コンクールの「ぬるさ」は、僕に限らずこういった若者がいることを大人が忘れているからなのかな、と思ったりもしている。

足りないもの

弊部がコンクールで結果を残すには、僕が安定した歌唱をし、演奏を支えることがまず必須の条件だと考えた。もちろんそれぞれの音域を前提にしながら、実力のある部員には、僕が担当するバリトン以外のパートを担当してもらった。ソルフェージュにかなり難がある2名をあえてバリトンに招き、僕が彼らをカバーし、かつ成長させられるように練習を通して働きかけていった。そのためのストレスは覚悟した以上に大きかったが、逆に僕以外の部員には、各々の技術の向上に集中してほしい、という思いもあった。念のため付け加えておくと、バリトンを歌った僕以外の2名は、元々すぐれた音楽性を持っていて、コンクールの練習を通して大きく成長した。

僕は練習中は指導役に回ることも多かったから、バリトンの2名だけでは全く歌えなくなる場面もあり、そういった点ではこのパート分けは功を奏しただけではないのだけど、結果を求めるにはこの分け方しかなかったように思う。

練習は基本的には僕が指導していたが、音程についてはもう1人の練習責任者にもよく見てもらっていた。

僕は幼い頃からピアノを習っていて、平均律に慣れている。一方で純正律の方がハモる、というのもまた合唱を通して学んだし、音として実感できるくらいには耳も成長した。ここまで成長できたのは、もともと平均律でしっかりと歌うことができたからだと思っている。平均律の音からプラスあるいはマイナス何セントという調整を経て、僕はスムーズにハモることができる。

もう1人の練習責任者である彼は、全ての音を純正律で要求するのだが、僕にはそれがあまり得策には見えなかった。なぜなら部員たちにはそもそも平均律の音を歌う力がなかったから。そのためのプロセスを踏まないと、純正律でハモれるようにはならないと思う。

僕としては、ざっくり言えば、まずは平均律でしっかり歌えるようになり、大事な和音や複雑な和音については、その都度純正律的な音の取り方をする、というのが今の弊部にとっての最善策なのではないかと考えていた。そしてそれを繰り返すことにより、他の和音でも応用できるような、純正律的な耳が育てば良いと思っていた。

結果として僕と彼のやり方が違ったことにより、部員たちを混乱させてしまったように思う。僕は自分のやり方に自信を持っている訳ではなくて、音の取り方については自分の中で明確な正解がある訳ではないから、自分の意見を貫くこともできなかった。紛れもなく僕の練習責任者としての力不足であった。

このようなこともありハーモニーづくりに時間がかかってしまい、フレージングやグルーヴ感やアーティキュレーション、音色のための練習は明らかに時間不足だった。やりたいことは山ほどあったが、それを練習できなかったことにものすごく悔いが残っている。

練習責任者に求められるのは、技術的な指導の部分だけではない。歌い手のマインドコントロールやタイムマネジメントなど、その役割は演奏をよくするための「全て」である。相澤先生や音楽監督の金川先生からは、技術面のみならずそういった部分も学んできたつもりだったが、今回のコンクールではそれを生かすことができなかった。

僕は常に不完全な存在だから、「自分を貫く」ことにあまり意義を感じない。しかし、指導者がその指導する内容に自信を持っていないようでは、練習は効率よく進まないだろう。そのバランスが大事なのだと学んだ。

歌えてナンボ

自分で書いていても何様だと思うのだが、総合的な合唱の上手さで言えば、部内には僕の右に出る者はいない。より細かい要素で見れば、例えば発声はあの人のようになりたい、メロディーのソルフェージュはあの人の真似をすべき、など挙げればキリがない。僕は技術を盗むことが最大のリスペクトだと思っているから、部員の歌声の良いところを見つけては取り入れるようにしている。簡単には真似できない技術を見つけると、尊敬の念は増すばかりである。

では合唱における自分の強みは何なのだろうか。僕はこの問いに長く答えが出せずにいたが、コンクールの練習を通して気づくことがあった。

繰り返しになるが、僕は練習責任者として練習の中で指導役に回ることも多くある。歌い手の歌唱に対して様々な指摘や意見、アドバイスを入れていく訳だが、成長する部員は、一度こちらから言ったことを他の部分でも応用して返してくるのだ。例えば、僕が「Aの部分のa母音が暗い」と指摘したとする。普通は歌い手はそのAの部分のa母音を明るくしようと努める。しかし積極的な歌い手はその改善に留まらず、Bの部分においてもa母音を明るくしてみたりするのだ。この「応用力」が、成長にはまず大切なのではないか。

僕は歌い手としての練習中も頭をフル回転させている自覚がある。どのように回転させているかというと上手く言葉にできないのだが、例えばAを指摘されたらBに自ら応用してみて、それが正しいかどうかをよく吟味する、といったことを常に繰り返しているのではないか。

歌い手としての成長には、こういった前のめりな姿勢が大事なのだ、とコンクール練習を通して積極的な部員たちが教えてくれた。このことは練習の中でも話したから、部員たちにはより一層の応用を期待したい。そして、僕自身も、言葉をどう受け取り、どう生かすか、ということを常に念頭に置いていたい。

しかし、合唱というのは難しいことを考えていれば良いわけでは当然ない。歌えなければ意味がないのである。

コンクールにおいては、練習ではどうだったとか、何を考えながら歌っているかとか、全くとは言わないがけれどもあまり関係がない。

大事なのは、歌声がどうか。歌声が審査員に何を思わせるか。だから我々は歌わなければならない。

弊部の部員の中には、優れた理論や経験の持ち主が多くいる。しかしそれらも、厳しい話かもしれないが、歌うことができなければ全くもって意味がない。

セカンドパートには、偶然にもそういった部員が集まった。彼らには常々、よく考えているな、と思わされるし、ハーモニーに関する知識も豊富だ。

しかし本番では、彼らはその力を発揮することができなかった。課題曲の入りの部分で音程を外し、自由曲のクライマックスの大事な和音でもまた外した。

非常にもったいないと思わざるを得ない。しかし、音楽の世界でものを言うのはその音だけなのだ。彼らにはこんなに知識があって、理論があって……というのは、悔しいけれども本当に通用しない。音楽という時間芸術の難しさを改めて感じた。音を磨くことを何よりも大事にして、練習しなければならない。それは至ってシンプルで、こだわるべきことなのだ。

ここまでに述べた様々な気づきに、もっと早く気づいていれば、結果も変わったかもしれない。改めて部員たちを始め色んな方々に申し訳ないと思う。僕は本当にまだまだで、これから途方もない道のりが待っているだろう。一つ一つの課題を受け止めて前進するしかない……。


(続く)

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