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我燃ゆ-1.チーム都立大グリー

2023年9月10日、東京都合唱コンクール。

僕が所属する東京都立大学グリークラブは、「大学職場一般部門 大学・ユースの部」で銀賞(6位)を受賞した。

たしかに、我々の演奏はまさに「銀賞(6位)」にふさわしい演奏だった。出場は全11団体。例年と比較して、今年は非常にレベルの高い争いになったように思う。その中での銀賞という結果は、前回出場時(2019年)に最下位に沈んだ弊部にとっては、決して悲観するような結果ではない。

個人的にも、本番の演奏では何が起こるかわからないから、4年前のように「賞なし」に終わらなくて良かった、という思いもある。

それでも、僕はこの結果には悔しさを禁じ得ない。我々が取るべくして取った銀賞。力を尽くしたからこそ、絶望に近いものがある。

やはり、この団体で全国だなんて無謀だったのだろうか?無謀なことのためにいろんなことを犠牲にして、あの時間は無駄だったのではないか?ネガティブな思考をしても仕方ないと人は言うかもしれないが、この苦しみというのは味わった者にしかわからない、などと意地を張ってみるのも悪くはない。

同じ方向を向いて

今回のコンクールのオンステメンバーは16人。全員が都立大の学生である。

部員はみんな正直だ。僕は練習責任者として練習を仕切ることも多いが、いかに集中して歌えているか、自信を持って歌えているか、私の練習を楽しんでいるか、あるいはつまらないと思っているか、そういったことは歌声や表情から容易に見当がつく。

緩い練習をして、なんとなくコンクールに出場し、成績がどうであれ「がんばったね〜」などとなあなあにして終える、そういう訳にはいかないのだ。コンクールに出場する以上、練習は当然厳しくなる。しかし闇雲に厳しい練習を部員に課していては、やがて脱落者が出てきたり、亀裂が生まれたりするだろう。もちろん僕は弊部を「根性なし」の集まりだとは思っていないが、しかし各個人に実力の差があるのは事実である。

この世でいちばんつらいことと言えば、「何のためにしているのかわからない練習」である。もっとも、目標がないのであれば厳しい練習をする必要もないので、そういった意味でのつらさは小さいとも言えるが、しかし無目的な練習はその内容以上に疲れる。逆に、いくらゆとり世代の我々と言えど、目標が明らかならば、多少の厳しい練習にも耐えられる、あるいは楽しめるものである。

掲げた目標は「全国金賞」。4年前のこともあり、部員の中にはコンクールに対してかなり弱気な姿勢を見せる者もいた。しかし私は、我々だって正しい練習を積めば、高名な他団ともきちんと勝負ができるし、「下剋上」だって起こすことができる、と考えていた。これは机上の空論ではなく、部員ののびしろと指導者の実力に自信があったのである。

はじめは「またあの人は無謀なことを言っている…」と思っていた部員もいただろうが、僕が繰り返し「全国金賞」を口にし、そこまでのビジョンを示すことで、少しずつその目標を現実味のあるものにできたのではないかと思う。そして、その目標は原動力となり、夏場の練習の集中力を高めた。普段の週2回の練習に加え、1日を通した集中練習や各パートの自主練を行えたのは、目標があればこそに違いない。

入部したばかりの1年生には、申し訳ないことをしたな、という思いもある。合唱を始めてたった数ヶ月の彼らにとっては高すぎるであろう要求をしたこともあった。それは弊部の大事な歌い手として認めていることの裏返しでもあるけど、精神的にもキツい思いをしたかもしれない。僕も練習内外でフォローしたつもりではあるが、それ以上に周りの先輩たちが彼らを支えていたのも印象的だった。部員は約半数が大学から合唱を始めた「初心者」である。1年生たちのキツさに共鳴する部分もあったに違いない。そういったチームワークも、ハイレベルな集団には不可欠だと思う。

しかし、全員が全員、同じ方向を向けていたかと言えば、そうとは言えない。僕を含めた部員の大半は、ある部員に対して不満を募らせていた。彼は、集中練習が重なる夏場の大事な時期にインフルエンザに罹り、練習に参加することができなかった。そのこと自体を責めるつもりは一切ない。しかし、その前後の彼の言動には問題があったと言わざるをえない。

まず彼は元々欠席が多かった。しかもそれは、側から見れば「調整可能なのではないか?」と思うような、例えば学業やアルバイトが主な理由であった。加えて彼は周りがまるで見えていない。日常生活でもそうだが、アンサンブルになるとその欠点は致命傷であった。彼は彼自身の歌唱に没頭してしまうのだ。しかも発声やソルフェージュに優れているわけでもないから、彼の歌声はそのまま演奏のアラとなってしまう。そういった訳で、彼には元々不満を抱える部員も多かった。

彼がインフルエンザ罹患による欠席から戻ってきたのは、コンクール本番の1週間ほど前のこと。彼が欠席している間に、常任指揮者の相澤直人先生による練習などを経て、我々の音楽は大きく成長していた。当然、彼はその変化にキャッチアップすることが要求された。しかしいざ歌ってみると、体調不良明けで調子が万全ではないとは言え、彼の歌声が演奏を壊しているのは明らかだった。聞けば、彼は欠席している間の練習の録音を1秒も聴いていなかったとのこと。我々は怒りを通り越して呆れていた。弊部は練習を毎回録音そして共有することで、欠席者へのフォローもそうだし、出席者も自分あるいは全体の歌唱がどうであったかを確認できるようにしている。僕は練習を振り返って楽譜にメモをするために活用しているし、どんなに忙しい時でも、次回練習までに最後の録音だけでも聴くようにしている。

コンクール本番直前の時期に1週間以上欠席しておいて、録音を一度も聴いてこないという愚行は、にわかには信じられなかったが、それも彼が我々と同じ方向を向いていないからなのだろう。それは僕を含めた全部員の責任で、反省しなければならない。彼のような部員には、どうすれば真摯に活動してもらえるかは今後の課題である。あるいは彼は彼で事情を抱えていることだってある。チームとしてフォローすることも大切だが、それも彼にとって負担となるだけだろうか。

彼はコンクール本番でも、前髪を目線にかけたままオンステし、歌唱中に前髪をいじる姿を審査員や観客に指摘されている。彼を支えたい気持ちもある反面、やはり彼はズレているのではないか、こちらのフォローにも限界があるのではないか、という思いも拭えないのも事実である。


彼のような部員を抱えながらも、部員たちはみな最後まで集中を切らさずに練習を継続した。コンクールの練習が始まる前とは比べ物にならないほど、我々の実力やバイタリティは向上した。


だからこそ、僕の指導力がもっと高ければ…と、後悔せずにはいられないのである。


(続く)

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