大学受験しんどかった話(ばなし)

公表しているけど、僕は東京都立大学の学生である。2018年4月に入学し、留年を重ね、来年度(2024年度)から人文社会学部の実質7年生になる。ちなみに僕が入学したときはまだ「首都大学東京」なんていう名前でした。

人文社会学部は2年生に上がる際に各専攻に分かれるんだけど、僕はそこで教育学教室を選択した(僕が所属する人文社会学部の人間社会学科には、ほかに社会学教室(宮台教授がいる)、社会人類学教室、心理学教室、社会福祉学教室、言語科学教室、日本語教育学教室がある)。当時はまあなんとなく選んだように思っていたけど、今となってはやっぱり日本の教育、とくに学校教育制度への疑問をもっていたのだろうと思う。

3年生(2020年度)になって以降はずっと「教育行政学演習」(荒井文昭教授)に所属しているけど、今年度はほとんど参加していない。でもこのゼミに入ってからの自分の関心ごとの軸というのはずっと変わっていなくて、それは大学受験にある。

自分はどちらかというと大学受験に「ハマれなかったタイプ」で、高校時代はなかなかつらい思いをした。


勉強頑張ってるやつキモい説

高校は神奈川県立平塚江南高等学校というところに通っていた。地元ではいちばんの進学校で、みん高の偏差値だと68。中学は周りの大多数と同じように地元の公立に通っていたけど、いわゆる学校の勉強はそれなりにできた。江南を選んだのも家から一番近い進学校(それでも自転車で片道40分くらいかかった)であり、かつ中学の時に頑張っていた陸上競技を続けられる、というのが理由だったけど、高校入試(5教科)の点数だけを見れば、神奈川県の2大進学校と呼ばれる湘南高校や横浜翠嵐高校にも、合格できるレベルではあった。

進学校に入ってみたは良いものの、僕は『進学』というものにずっと関心をもてずにいた。大学なんてどこでも良いと本気で思ってたし、部活を熱心にやっていたのもあって、たしかに時間もなかった(その割に部活では目立った成績を残せなかった)。3年生になるまで、勉強を頑張ったような記憶は一切ない。

それに、高校入学後の早い段階から勉強イキリしている子がやっぱりクラスにも何人かいたけど、僕はそういう子がめちゃくちゃ嫌いだった。今思うと、自分が大学受験にあまりにも関心がなかったのもあると思うが、教室内で志望校がどことか判定がどうとか、そんな話で盛り上がっている周りの子たちをものすごく不愉快に思った。

中学は違ったけど実は家が結構近くて、高校に入学してすぐに仲良くなったSくんという子がいたが、この子は少し違うな、と思っていた。失礼かもしれないけど、いかにも勉強しているという感じはなく、放課後はバスケ部の練習に打ち込んでいた彼だったが、定期試験や模試の学内の学年順位で必ず3位以内に入っていた(入学時は一学年319名)。でも彼は自分の実力が他者に知られることを、「期待されたくない」という理由で嫌がった。彼が僕と仲良くしてくれたのは、気が合うとか家が近いとか以上に、「自分(彼)の成績にあまり興味がない」というのもあったのかもしれない。もちろん僕は、彼が努力して結果を残していること、そしてそれを人に自慢しないことを尊敬していた。僕も勉強していなかったとはいえ、たまたま模試で上位の成績をとったり、あるいは少し勉強し始めた高2の後半以降には比較的得意だった現代文や英語の定期試験の点数がクラスで1位になることもあったが、ふてぶてしくも彼のスタンスを真似て、なるべく周りにばれないようにしていた(内心はとてもうれしかったのを覚えている)。


大学は本当にどこでも良い。けど…

高3になっても相変わらず大学入試には関心がなかった。でも、高校で模試を受けさせられるから、必然的に自分がどの辺りの大学に入れる学力を有しているのかがわかってくる。だいたい、MARCHより下はA判定、MARCHはB
からC、早慶・旧帝はD…。

そもそも大学入試に興味がないんだったら、大学なんて行かなければ良いと思われるかもしれない。僕もそう考えられたほうが幸せだったのだろう。しかし、進学校に通っている以上、そういった考えに至るのは不可能に近い。大学進学率はほぼ100%の中で、自分はあえて大学に行かないという選択をしよう、とはなかなかならない。僕も周りが受験ムードになる中で、どこを目指すともなく、なんとなく勉強していた。偏差値が高い大学を目指すのが「すごい」ではなく、「それが普通」なのだと思っていた。大学はどこでも良いからこそ、学費の安い国公立大学に行こうと思った。結果的に志望校に絞られたのが、一橋大学社会学部。入試へのモチベがなさすぎてさすがに危機感をおぼえ、高3の夏にいくつかオープンキャンパスに出かけた。一橋大学、横浜国立大学、首都大学東京、国際基督教大学、立教大学。家から通える、という点以外に特にこだわりはない。でも行ってみたらどこも結構良い印象を受けた。ただし横国はキャンパスが汚かったことを覚えている。

一橋は、2次試験で数学を使う。それに一橋の数学はめちゃめちゃ難しい。当然センター試験では5教科9科目を受験しなければいけないし、ICU(国際基督教大学)の英語もしっかり対策しなくちゃいけない。大学はどこでも良いと思っているのとは裏腹に、自分で自分の首をどんどん絞めていった。

高校3年間、塾や予備校にもほとんど通わなかった。自分みたいな人間に金を使うだけ無駄だと思っていたから。唯一、受験直前の冬期講習の時期に駿台予備校の一橋の対策講座を受講させてもらったが、事前に提示された課題をやらずに授業に臨んだため、教師に叱られたのを覚えている。帰りに横浜の大きなブックオフで当時ハマっていた乃木坂46のCDを買い、日高屋でラーメンを食べて午後少しだけ厚木で勉強して帰宅した。


受験期つらすぎた!!

1月のセンター試験は900点満点中705点。一橋志望にしては低い。数学ⅡBなんて41点だった。一橋の社会学部は理科基礎以外は配点が低くて180点満点に換算(2次は820点満点)されたから、センターの点数はあまり気にしていなかったけど、後日足切りの点数を確認したら705点、つまり自分がボーダーだったのを知った。どうせなら自分も切ってくれて良かったのにと思ったのを覚えている。

高3の夏から秋にかけて、少し勉強を頑張った時期があった。モチベーションがなくても、気合で頑張るということが人間にはできるものだ。その時期があったおかげで、なんとか足切りは回避することができた。逆に年が明けてからはほとんど勉強していない。試験が近づくにつれて、「自分には積み重ねがないから今さら勉強しても無駄」と思った。また、立教の社会学部にセンター利用で合格し、全落ちは免れた。もっとも、この時期は、自分には勉強量が圧倒的に足りないのはわかっていたし、浪人して1年間ちゃんと勉強しようかな、なんて考えていた。

ICUには落ちた。リスニングの英文が全く言語として聞こえないくらい、手も足も出なかったのを覚えている。2月中旬にはインフルエンザにかかった。ここからは本当に一切勉強していない。療養しながら、ちょうど開幕した平昌五輪の中継をテレビで見つつ、欅坂46(現・櫻坂46)のソシャゲをしていた。

2月下旬には国公立前期試験が控えていた。勉強しようという気はもうなかったけど、そのぶん心配はつのった。結果、神経症みたいな症状になり(症状の詳細はけっこうグロテスクなので省略)、夜中に地元の総合病院に運ばれた。

症状は数日で良くなった。前期試験も受けることはできたが、不合格。悔しいみたいな感情は全くなく、浪人する元気もないから、4月からは立教に通うことになるのだろう、と思った。後期は首都大に出願したけど、センターも大して取れていないし、小論文の対策は全くしていない。

結局後期試験の対策も全くしなかったが、一応受けるだけ受けてみた。行きの電車の中で、「小論文 書き方」と検索をかけ、一番上に出てきたスタディサプリのサイトで『起承転結』が大事であると書いてあったのでその通りに書いたらなんと合格した。学費の安い大学に行けて良かった…と安堵した。合格する自信は全くなかったのだけど、プチ観光気分で南大沢まで合格発表を見に行った。3月の後半にもかかわらず、雪が降るほど寒い日だった。合格発表が始まる少し前に着いたので、大学の目の前にあるアウトレットを散策していたところ、手を滑らせてスマホを落とし、画面がバキバキに割れたのを親に半泣きで報告した。合格を報告したかどうかは覚えていない。


健全な努力のために

最初に述べたように、僕は大学受験に「ハマれなかった」側の人間だ。勉強をするつらさ以上に、勉強をしないつらさがあった。

結果的には、僕は都立大に入ることができて本当に良かった。だから、受験生時代のつらさもポジティブに捉えることもできる。一方で、18歳の1年間、ただただつらいだけで過ごしてしまったし、なんならあの時に何かが歪んだ感覚すらある。

僕はつらい思いをするのも時には必要だと思うし、僕の人生はどちらかというと、努力することで切り開いてきたように思う。でも、その努力というのは、自分が必要だと思えたからこなすことができた。

大学受験、そしてそのための勉強が、自分にとってどのように大切で、なぜしなければならないのか。周りの大人が、教えてほしかった。勉強なんて、自分の行動でどうにでもなる。でも、その勉強がどういう仕組みのために自分たちに必要なのか、それは子どもである受験生時代の自分が知るのは難しい話だ。

そこには真実なんてものはないのかもしれないが、「やらなければいけない」と言うのだけではなく、大人が、社会あるいは自分の言葉で、説明してほしい。

未来の受験生が僕のようなつらさではなく、健全な努力ができる、その一助になれるように、来年度はしっかり研究して、卒業論文を書くことができたらと思っている。

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