朝帰り

始発から何本か過ぎた時間に彼と別れたあと、電車に揺られていると、遠くの方に朝焼けが見えた。澄んだ青色と薄い橙色が、淡い光の階調を作っているのに、過ぎゆく街はまだ夜の面影を残していた。

あと数十分もすれば、いつものような忙しない朝がやってくるのか。そう思うと、私が乗っているこの列車が現実を走っているなんてまるで信じられなかった。

私は、車窓から、澄んだ青色が力強くなっていく様子を黙って見ていた。青色が少しずつ輪郭を強め、面積を広げていく様子は、ふたりの真夜中の時間をまるで夢物語にしていくみたいだった。

最寄りの駅に着いてちょうど、ほんの数時間前まで一緒にいた男から着信があった。私を労わるような素振りの連絡に若干の煙たさを覚えたが、嫌な気はしなかった。

朝焼けが出ていることを伝えると、彼は困った声で「残酷だね」とひとこと呟き、電話を切った。ああ、彼もきっと私と同じように思っている、そう思うと、私たちは、真夜中の関係をやめられないと、そう思った。

見慣れた駅のホームで大きく息を吸い込むと、鼻腔が凍りそうなくらい冷たい空気で、生きているという実感がふつふつと湧き上がってきた。土曜日の朝の、東京から少し離れた、所謂ニュータウンの空気は、もちろん、あまり美味しくないのに、私はこの地で大地を、自然を感じて、今も生きている。心臓は止まることなく私をつき動かし、いのち短し恋せよ少女、と適当な使命を体に与え、自らが求めるままに生きている。愛に飢えた亡霊のような忌々しい自分を「自分らしさ」や「個性」などという都合の良い言葉で言いくるめ、気取って生きている己が、何とも醜くい。そして、ため息が出るほど愛おしく感じてしまう。若さとはなんて怖いものなんだと思った。


あとがき

これは私が21歳のときに書いたエッセイです。
数年が経ち、少し大人になり、リアルでかつ、可愛げのある文章だと思ったので、公開することにしました。
いつの日か感じた、若さと愚かさの中間にある「自己陶酔」を感じてもらえたらいいなと思います。恥ずかしつつも、笑って読んでください。

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