hazumi_maman2

38歳、ピアノ講師、2児の母、帰国子女、B型

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38歳、ピアノ講師、2児の母、帰国子女、B型

最近の記事

「私は下手だから」は言わないでおこう

 「私は下手だから」と言い続けてきた。 謙遜でもなんでもなく、本当に下手だと思うからだ。 何と比べて下手かというと、自分の頭の中で再生できる「こう弾きたい」と思う理想の演奏と比較して、そこには到底及んでいないから下手だ、という訳である。  若い時は、「そんなことないよ」と言われる度に「この人には分からないんだ、私のこの下手さ加減が」とドツボにハマっていた。自分の演奏にお金を払って貴重な時間を割いて聴きに来て頂くことに罪悪感さえ覚えていた時期もあった。  ところが、今は人前では

    • 「おさんぽ音図鑑」を作ろう

       息子が幼稚園でもらってきた「おさんぽ図鑑」が秀逸である。 季節ごとにミニブックにまとめられており、首から掛けるための紐が付けられる。外にお散歩に出掛けて、その図鑑に載っている虫や植物を見つけたらチェックをする。各項目にちょっとした解説が書いてあって、大人でも勉強になる。  その図鑑を手にして息子と実際に散歩して気がついたことは、「目的を持って散歩すると、様々な発見が普段の倍になり、楽しくなる」ということである。おまけに実体験を通した知識も身につき、親子のコミュニケーションも

      • ご褒美のシールは必要か

         ピアノのレッスンに限らないが、子どもに何かを教える時にご褒美のシールを用意する先生は少なくない。私もシール制度を取り入れていた時期がある。  課題曲を充分に練習してきた時や、とても上手に弾けた時などにその楽譜のタイトルの横あたりにシールを貼る。もしくは、毎回曲が仕上がる度にシールを花丸代わりに貼ってあげる場合もあるだろう。  シールが大好きな子どもはそれだけでワクワクするし、後からテキストを見返した時にシールの数だけ達成感に浸ることができる。よって、生徒のモチベーションアッ

        • ドレミファソVSドシラソファ問題

           私は『ピアノひけるよジュニア』という楽譜を使用することが多い。子どもの導入時期にぴったりで、知っている曲を簡単に”弾ける気分”にさせてくれる素晴らしい楽譜である。  その楽譜の最大の特徴は、なんと言っても、右手と左手の親指が「真ん中のド」を起点(ドは左右いずれかの親指で弾く)にドレミファソ、ドシラソファ、というポジションを取ることである。そのため、導入時期からオクターブを超える音域を弾くことができる。両手ともにドレミファソのポジションよりも遥かに使える音域が広いので、演奏で

        「私は下手だから」は言わないでおこう

          耳の聞こえない生徒にピアノを教えられるか

           94歳でこの世を去られたビブラフォンのレジェンドと、とあるご縁で2度ご一緒させて頂くことがあった。私も同じイベントの出演者として、打ち上げの場では隣に座らせて頂いた。まだ若かった私は、雲の上の存在のような音楽家たちばかりの場で、思い返すだけでも赤面するほど未熟な存在であった。  そんな私に、おすすめの漢方の話から、スポーツカーの話、もちろん演奏の話まで色々と気さくにお話し下さった。音楽界のレジェンドということを差し置いても、どこから見ても正真正銘のカッコイイお爺様であった。

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          ピアノ講師の実態と「良い先生」の見分け方

           世の中に存在するピアノ講師の中で、真摯に教える責任と向き合っている先生は半分にも満たないかもしれない。他の楽器でも、スポーツや語学などの講師でも当てはまるかもしれない。  一部の先生は、本当にその道のプロである。しかしそれ以外はというと、学業や演奏活動の傍らで“時間給(レッスン代)だけを目的“として(つまりレッスンの時間以外にその生徒のことを考えることはない)レッスンしていたり、または先生という立場の上にあぐらをかいて、時代によって変動する最新のメソッドや多様化するニーズを

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          ピアノ講師の懺悔

           私は38歳、2児の母、元職業ピアニスト、現ピアノ講師である。  4歳からピアノを始め、大学で音楽を専攻した後、ヨーロッパへ留学した。在学中を含め、10年程度演奏活動にも精を出していたが、30歳で結婚、31歳での出産を契機にその世界から徐々に遠のいた。第2子が2歳になったタイミングで、これからのキャリアをどうにかしないとと積極的になっていた矢先、コロナ禍に突入し世界は一変した。そして、いよいよ私の戻る場所は演奏の世界にはなくなった。  ピアノ講師としては、在学中からお金を

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