ご褒美のシールは必要か

 ピアノのレッスンに限らないが、子どもに何かを教える時にご褒美のシールを用意する先生は少なくない。私もシール制度を取り入れていた時期がある。
 課題曲を充分に練習してきた時や、とても上手に弾けた時などにその楽譜のタイトルの横あたりにシールを貼る。もしくは、毎回曲が仕上がる度にシールを花丸代わりに貼ってあげる場合もあるだろう。
 シールが大好きな子どもはそれだけでワクワクするし、後からテキストを見返した時にシールの数だけ達成感に浸ることができる。よって、生徒のモチベーションアップにつながる、というわけである。
 しかし、先生によっては断固シール反対派の場合もある。子供騙しなご褒美をチラつかせないとやる気にならないようでは本質的ではない、との意見である。若い頃は「それもそうだ。実際、私が師事していた鬼のように厳しい先生のレッスン室にはシールなんてなかった」と思い返していた。
 それでも、街の音楽教室で教え始めた時に、周りの先生方がシール制度を採用されていたので、私の担当生徒だけシール無しというのも可愛そうだと思い、使い始めた。
 効果がなかったとは言い切れない。ただ、生徒が私のシールボックスの中から貼りたいシールを選ぶ時間、貼る時間(「自分で貼りたい」「失敗した」「そこじゃない」「やっぱりあっちのシールが良かった」「前から狙っていたシールが無くなっている!」など)がもどかしく、結局やめてしまった。そう、私はせっかちなのである。
 限られた貴重なレッスン時間の中で、子どもとの雑談はコミュニケーションにおいて重要だと思うが、シールで得られる喜びのために時間を割く必要は無いと判断した。
 演奏できたという達成感は消え物でいいと思う。確実にその子の成長や自信にはつながるし、何よりシールを貼っても貼らなくても、記憶に残る曲は残るし、綺麗さっぱり忘れるものは忘れるからだ。
 自分の子どもの習いごと(体操)を通して確信したが、シールをもらわなくても、先生に頑張りを認めてもらったり、できなかったことを克服できた喜びを分かち合ってもらったりするだけで、子どもは満足するのだ。
 とはいえ、私も幼少期からシール集めに興じていた。1ヶ月に1度、姉との交渉大会が開催され、宝物のシールを手に入れたり、言葉巧みに奪われたりした。その頃からのコレクションは、アラフォーになった今でも手元に置いてあり、どこからどうみても立派なシール収集家である。シールには夢が詰まっている。
 

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