ピアノ講師の懺悔

 私は38歳、2児の母、元職業ピアニスト、現ピアノ講師である。

 4歳からピアノを始め、大学で音楽を専攻した後、ヨーロッパへ留学した。在学中を含め、10年程度演奏活動にも精を出していたが、30歳で結婚、31歳での出産を契機にその世界から徐々に遠のいた。第2子が2歳になったタイミングで、これからのキャリアをどうにかしないとと積極的になっていた矢先、コロナ禍に突入し世界は一変した。そして、いよいよ私の戻る場所は演奏の世界にはなくなった。

 ピアノ講師としては、在学中からお金を頂いて教えたりしていたのも含めれば、20年弱程度の経験がある。現在は、保育士養成校で非常勤講師としてレッスンをしたり、プライベートレッスンでは下は4歳から上は73歳の生徒に教えている。

 人生で初めての生徒は、大学時代、当時師事していたピアノの先生のご子息(3歳)である。
 ピアノの先生の子どもなら、先生である母親がピアノを教えれば良いだろうと思われるかもしれないが、親子だからこそ難しい場合も多い。私自身、息子5歳に何度もレッスンを試みたが「ママは弾かないで!○○くんできるから!」という具合で、レッスンが成り立たないので諦めてしまった。その子の気質にもよるだろうが、よほど厳しくするか、よほど我が子とのコミュニケーションスキルがないと難しいと感じる。

 当時まだ大学1年生だった私に、大事な息子さんのレッスンを任せてくださったのは、私にとっても成長の糧となるからという先生の温かいお考えがあってのことだろうと思う。しかし、結論から言えば、私はピアノ講師としての責任を果たすことができなかった。 

 その息子さんは半年でピアノを辞めた。別の教室に移ったわけではなく、「ピアノよりも体操など体を動かす習い事の方が向いてそうだから」という理由だった。それはそれで本当のことかもしれないし、実際その息子さんは成人して体育の先生になった。
 しかしそれでも、私ではなく、教えるのが抜群に上手いベテラン先生に習っていれば、ピアノが生涯の友となるようなきっかけを与えてあげられたかもしれない、との思いが拭い去れない。

 私は、初めての幼児へのピアノレッスンに備えて、一切勉強せずに挑んだ。自分が幼児期に使っていたテキストと同じものを選び、記憶を頼りに、昔自分が受けたレッスンを再現しようとした。笑顔と褒め言葉で乗り切れると信じていた。そして失敗した。

 このことがどれだけ罪なことか、20年経った今なら胸が苦しいほどに分かる。

 残念ながら、私はその後も同じような罪を繰り返していくこととなる。少しづつ経験から学びはするが、レッスンを続けているとどこかで何かに躓くのだ。そして、自分の犯してきた罪の多さに気がついた頃には、犠牲者である生徒たちはもう大きく成長し、私とは関係のない人生を立派に歩んでいて、詫びることも贖うことも叶わないのだ。彼らにとって幼少期に習っていた未熟なピアノ講師の存在なんて、思い出すことすらないものかもしれない。

 それでも私の犯した罪は確実に彼らの人生に影響を与えている。

 コロナ禍や自分のライフステージの移行をきっかけに、私は教育の道へ進むことを決意した。人に教えるというのは、その人の人生・人格に触れることである。
 ピアノ講師としての「スキル」という言葉だけでは包括できない責任と向き合っていく第一歩としての懺悔である。

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