おばあちゃんと雪の降った日

うちのおばあちゃん、83歳。
もう何年も前から、認知症の症状がある。

新しい事柄はほとんど覚えておくことができない。
日付や曜日はわからないが、今でも畑仕事をしているためか、季節の感覚はある。

この数年、毎年見られる現象がある。
寒い季節の、夜の食卓。
おばあちゃんが毎日毎日、同じことを私に訊くようになるのだ。

「葉月ちゃんの通勤路には、雪はまだ降ってないの?」

おばあちゃんは記憶がアップデートされない。
そのため、私は片道2時間かけて通勤していることになっている。
それは大学生の時の話であって、今の私の通勤時間は車で15分である。
だが、おばあちゃんは、孫は毎日遠くに通っていると思っており、雪道では大変だからと心配してくれているのだ。

孫を想う気持ちはありがたいのだが、ひとつ難点がある。
私の住む地域では、11月には雪はまず降らない。
12月は年末に一度大雪になることが多いが、それ以外は粉雪が舞う程度で、路面の凍結はほとんどない。
だが、明らかに雪の降らない11月頃から、おばあちゃんの頭の中は雪の心配でいっぱいになるのだ。
…寒いからね、仕方ないよね。
自分が訊いたことも忘れるので、一日に何回も訊かれることもある。
…何度訊かれても、まだ雪が降るような時期ではないんだよなぁ。

少しうんざりしてしまうが、おばあちゃんは毎回、真剣に心配してくれているのだ。
私は毎回、初めて訊かれたかのように、淡々と「まだ降ってないよ、大丈夫」と答えた。
訊かれるたびに違う言い方で返事をしてみるなどしてみたこともあったが、おばあちゃんは同じ質問からブレないので、私はエネルギーを費やすのをやめた。
私以外の家族は、おばあちゃんの発言に半ば呆れており、黙っているか、時々「まだまだ雪なんてないよ」と小馬鹿にしたような言い方をした。
私は夕食の時間が、嫌いだった。

12月も後半になり、身体の芯から冷えるような寒い日が増えてきた。
今日の帰り道は、吹雪だった。
この冬初めて、道路に雪が積もった。

夜の食卓。
おばあちゃんはいつもの如く、とは本人は思っていないが、「葉月ちゃんの通勤路には、雪はまだ降ってないの?」と訊いた。
「降ってたよ」と私は答えた。

おばあちゃんは、「降ってたの!」と真剣に驚いていた。

家族が、笑った。
私も、笑った。

この1ヶ月半、おばあちゃんの雪の心配が始まってからの夕食は、家族にとっても息の詰まる時間だったのだろう。
病気だから仕方のないこととはいえ、毎日同じことを訊かれては、うんざりするし、呆れもする。
「さっき言ったでしょ」「またなの?」
そんなイライラを一日中繰り返しては飲み込み、毎日毎日繰り返しては飲み込み、終わりのない繰り返しに途方に暮れるのが、認知症の人の介護である。
そんな負のループに変化を起こしたのが、今日の吹雪だった。

みんなが笑う中、おばあちゃんもつられて笑った。
夕飯の鍋は、いつもより美味しかった。

明日は晴れるようだ。
今日積もった雪は溶け、おばあちゃんは夕食時に雪のことを訊き、私はまた「降ってないよ、大丈夫」と淡々と答えるだろう。
でも明日は、少し優しい気持ちで言えるかもしれない。
心配性で、感情表出が豊かなおばあちゃんは、どんな表情をみせるだろうか。

#エッセイ #日記 #介護 #認知症

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