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ブックレビュー:『もの食う人びと』辺見庸


ひと昔前の話ではある。時代が違うと言われればそれまでかもしれない。
しかし、生きるために食べるということ、食べることが愉快な時間にもなりうることは昔も今も変わらない。おそらくこれからも。

あらすじは、冒頭を引用しよう。この旅の趣旨も含まれている。

 人びとはいま、どこで、なにを、どんな顔で食っているのか。あるいは、どれほど食えないのか。ひもじさをどうしのぎ、耐えているのだろうか。日々ものを食べるという当たり前を、果たして人はどう意識しているのか、いないのか。食べる営みをめぐり、世界にどんな変化が兆しているのか。うちつづく地域紛争は、食べるという行為をどう押しつぶしているのか・・・・・・それらに触れるために、私はこれから長旅に出ようと思う。

『もの食う人びと』P7

冒頭で食事が愉快な時間にもなりうると書いたが、楽しむどころか、食べることさえままならない人たちがいる。それはこの本が書かれた90年代初頭に限らず、現在まで常に世界のどこかに必ずいる。
この日本にだっているだろう。身近にはいないだけで、関わり合いがないだけで。あるいは気づいてはいるけれど、見て見ぬ無ふりをしているだけで。

僕も目を背けているうちの一人だと思う。いや、弁明すれば目を背けているわけではない。頭の片隅にはあるが、日常的に意識に上らないのである。
学生時代に難民や貧困のことを学んでも、テレビで小枝のような身体の栄養失調の子どもが映されても、根本的には何も変わっていない。
記憶としては残る。反省的な気持ちにもなる。悲惨な姿に心を打たれないわけではない。しかし、だからと言って、僕の生活は何も変わらない。
だが、自分を庇うわけではないが、これが人間の性なのではないか。自分自身が当事者にならなければ、当事者になる可能性が身近に迫ってこなければ、立ち上がることができないのではなかろうか。
正直、僕には簡単ではない。

この本『もの食う人びと』は著者が文庫本のあとがきで、この本を”「警世」などとんでもない”、と断っているように不遇の人々に嘆き、同情して意識を向けよう、そしてわが身の境遇に感謝しよう、という趣旨の本ではない。
引用した冒頭の理由と筆者自身が飽食に慣れきった舌と胃袋を異境に運び、いじめることが旅の動機であったと言う。飢餓の世界を世に訴えるため、その根拠探しに旅したわけではない。ひたすら食べる人びとを追って、見て、聞いて、共に食べたルポである。
だが、著者が身をもって深刻な現場へ足を運び、人びとと面と向かって交わり、ときには危険と思われる食べ物を口にしている。この経験の数々によって、ただの記録集以上のものとなっているように感じた。
結果的に世界の見えざる行間を立体的に強く立ち上がらさせており、薄っぺらな教義や思想を持って正当性を振りかざすことを目的とした書籍とは一線を画している。
 筆者が旅の途次でしばしば思い出していた”見えない像をみなさい。聞こえない音を聞きなさい”という言葉を見事に体現させていたように思えた。

人びとは何のために食べるのだろう。食べることを通して何に期待しているのだろうか。
生きるため、命をつなぐためという一義的にしか意味を見出せない境遇の人びとがいる。
目の前のモノを飲食することが不治の病を引き起こす恐れがあったとしても、身体に害だと分かっていたとしても、今を生きるために口に入れざるをえない人びとがいる。
「食のタブー」を犯してしまい、過ちを背負い続けている人びとがいる。
戦線で早食いが習慣になった人びとがいる。
菜食主義や身土不二などこだわりや思想を持って食べるものを選ぶ人びとがいる。
顔色をかえずに無料提供される豚肉を食べる難民のイスラム教徒もいる。
フィッシュアンドチップスを立派なお皿で食べる王様もいる。

読みながら思ったことのひとつは、人びとの食への向き合い方である。
置かれた境遇が食べるものだけでなく、食べる目的や食べ方にも左右する。
食べることもままならない人は何を食べるかや味はもとより、衛生面にさえ志向が向けられない。とにかく生きるために何でもどのような状態のものでも食べる。目の色を変えて食べる。
衛生面や味を意識できるようになるのは、食べられることが前提にあってからなのだろう。
そして、食べるものを選択できる余裕が出てくれば、食べ方やこだわりを見出せるようになる。

味を感じられる余裕すらない人びともいる一方で、食に作法やこだわりを持っている人びともいる。
境遇が食を左右する。逆に言えば、食べているものや食べ方によってその人の置かれている境遇もだいたい分かるのだろう。

死の重みすら感じられなくなるほど、飢餓がすぐ隣に居座っているような世界を想像することが難しい。僕たちの隣には当たり前のように食べ物があるから。
だから、”想像力を養え”、”想像力が大切だ”というけれど、『もの食う人びと』を読むと、僕たちが持っている想像力なんてちっぽけなものでしかないような気がしてならない。
不自由なく生きている人が自分の想像力を過信してしまえば、むしろマイナスなのではないかと思ってしまった。
想像力がいらないわけではない。ただ、想像を遥かに超えた世界があること、想像力は万能ではないこと。そして常に磨き続けなければならないことは肝に銘じておかなければならないと思った。

世の中を一瞬で変えることはできない。記憶はすぐに風化してしまう。想像力はすぐに壁にぶち当たってしまう。
なにか提言やうまい締めが見つからないかと考えたが、早計にこうだと言い切れることなんて全く思いつかなかった。

いろんな考えが浮かび、地球の裏側に想いを寄せる。反省的な気持ちにもなる。しかし、おそらくはすぐに日常に引き戻されるであろう。
だからと言って、この心の動きを無理に押し止める必要はない。偽善者かもしれないが、気持ちが揺さぶられたことは確かだ。
『もの食う人びと』の世界は簡単に消化できない。反芻しては考え、たまに吐き出して、何度も食らうことになるだろう一冊になりそうだ。


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