11/4 「つながる」とは???
本日は、日ごろというか、ずっと思っていることを書いてみます。
最近何かと「コミュニケーション」という言葉が乱用されている気がする。私だけだろうか。それができないと、人としての前提条件を兼ね備えてないような、そんな扱いをされる。
つながること、つながれることが当たり前になっている。
そんな現状が特に最近蔓延していると思います。社会でも学校でも、絶対的に自由であるはずの音楽や文学でも。
それはとても危険なことじゃないのか?と。
SNSが発達してあぶない目に遭う子どもが増えたという話もそうですが、
何よりも、
怖いのは、
『つながれることが普通だ』という意識が共通項として在ること。
つながれないものがあるのは自然なことで、
それを許容することができないと、息もできない世の中になってしまう。
だって考えてもみよう。目の前の人のことを大嫌いだとして、その人のことを受け入れない自由もあるのに、受け入れることばかり考えなくちゃならないではないか。
嫌いでもいい。自分と別のものってことでいい。
なあなあにしとかないと、いずれ自分が追い込まれる。
極端かもしれないけど、そしてうまくも言えないけど、
「つながれない」ことを前提にしないと、ずいぶん苦しい思いをすると、
そう思うのです。
今日はいつにも増して文章ぐちゃぐちゃですみません。
この思いがだれかに「つながる」ことを祈って、それじゃ。
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