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時代に合わない教育「プロイセン・モデル」

こんばんわ。ハザクラです。

今日は、歴史という視点から、教育を覗いてみようと思います。
教育の情報をキャッチしてる方なら分かると思うのですが、学校教育は100年間、ほとんど変化が無いんですよ。何が言いたいかと言うと、学校教育は、時代の変化から取り残されているということ。

じつは歴史の観点から見ると、学校教育が変化できていない理由は、「プロイセン・モデル」という教育方法にあるんです。聞いといて損のない面白い話なので、ぜひ最後までお付き合いください!

今の学校教育=「プロイセン・モデル」

「で、プロイセン・モデルって何なの?」という話なのですが、端的に言うと今の学校教育そのものです。

具体的に言うと、1コマ1時間前後、教師が教える講義型、生徒はひたすら話を聞いてメモを取る、というスタイルの授業のこと。今の学校教育は、これらを軸として教育活動を行っていますよね。ざっくり言うと、この教育方法が「プロイセン・モデル」というやつです。

「プロイセン・モデル」の問題点

そんな、今の学校教育の大元となっている「プロイセン・モデル」ですが、じつは重大な欠陥があるんです。それが、圧倒的に時代遅れだということ。

そもそも「プロイセン・モデル」とは、その名前(プロイセンという昔の絶対王政国)が示す通り、中央集権的な国で開発された教育方法なんです。
中央集権的な国家では、国民に「従順さ」や「忠実性」を求めます。逆に、賢くて自主性のある市民は、国家にとって危険なものになりますよね。

だから、「プロセイン・モデル」という教育方法は本来、生徒の自主性や集中力を削り、従順かつ眷属的な市民を育てるための教育方法なんですよ。

学び手の自主性を削り、眷属的な人を育てる。だからこそ、長ったらしい授業や、教師からの一方的な講義型の授業が主流になっているんです。

でもこれって、昔の社会主義国家には有効な教育モデルだったかもしれないけど、今の日本には明らかに時代遅れですよね。今の日本で求められているのは、自主性があって、集中力もあって、そのうえクリエイティブな人材ですから。

だから、根本的に「プロセイン・モデル」は今の日本にマッチしてないし、この教育方法を選択していること自体おかしいんですよね。これが輸入されたのは文明開化のタイミングですが、江戸時代の「寺子屋」のような、日本古来の学び方の方が本当は良いとされています。

時代に合わない教育「プロイセン・モデル」

というわけで、今なお多くの学校で行われている「プロセイン・モデル」の授業方法は、眷属的な市民(悪く言えば、正しい判断が出来ない、従順でバカな市民)を育てるための教育だということ。

そうではなく、だんだん2022年の日本という状況にマッチした、新時代の教育に切り替わっていくといいですね。「プロセイン・モデル」ならぬ「レイワ・モデル」みたいな(笑)

ってなわけで、「プロセイン・モデル」が教育改革の、そして生徒の足かせにもなってるよって話でした。

今日も最後までありがとうございました!
ではまた。

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