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【短編小説】 グラスの汗

「終わりにしよう」

こんな言葉よりも、言わなきゃいけないとこはたくさんあったはずだ。どうしようもなく、不安になった。お互いの仕事が忙しくなって、会う時間もメッセージの回数も減った。
「恋人にも、友達にも、家族にも、知り合いにもなりたい。1番近い存在で、全部を知りたい」
そう言っていた。

ふたりでよく来たカフェ、ふたりの決まりごと。
フラペチーノと氷なしのアイスコーヒー。

でも、今日は違った。
まるで、早く帰ると伝えているかのように目の前に置かれたルイボスティー。
少しでも時間を伸ばしたいと伝えるかのような氷がたっぷり入ったアイスコーヒー。
ふたりのグラスから水が滴る。この汗は、どちらのどんな気持ちに符号するのだろう?
なにより、コースターを使わず置かれ、ぶっきらぼうに置かれたグラスの周りに水溜りができているのが気になった。
いつもと変わらない光景。ただ1つの違和感がずっと気になる。

「そっか」

困惑と悲しみが混じった声。どちらも話すことなく沈黙が続く。
いつから1番じゃなくなったのだろうか。いつから伝えることを諦めてしまったのだろうか。
これだけは分かる、優しいから身勝手な相手ではなく自分を責めてしまう人だ。
「ごめんね」
続けて言葉が空気を切り裂いた。
グラスに入っている氷の均等が崩れ、不協和音を立てた。
顔を上げると目が合ってしまった。ごめんね、と言葉をかえす。

ごめんね?
なにに対して謝っているんだ?
カフェのBGMが遠くなった。言葉を理解するのに時間がかかった、返答は何も思い浮かばない。能天気なBGMがありがたかった。
返答が思い浮かばない。いや、この場合は沈黙が正解で、答えだ。

「そういえば、置いていった服どうする?」
ふと思い出したように口を開いた。
「あぁ、着払いで送って」
その言葉が、ふたりがもう会うつもりがないことを悟った。

「ひさしぶりに、ちゃんと顔を見た気がする」
無意識的に声が出た。
そういえばそうだ。ふたりが一緒にいた時間の中で、だんだんと慣れが出た。
お互いの顔なんて意識して見ることは久しくなかった。

「かっこいいでしょ」
「かわいいでしょ」
同時に同じような言葉を発した。ふたりは苦笑いをする。

話し始めてからアイスコーヒーもルイボスティーもひとつも減っていなかった。
変わったのは、アイスコーヒーが氷が溶け、常温に変わり、温かいルイボスティーも常温に戻っただけだった。

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